親鸞生誕の日に改めて考える「信仰の根拠」

5月21日は、浄土真宗の開祖である親鸞の誕生日を祝う「降誕会」が宗門の寺院で行われました。浄土真宗は、日本でもっとも信徒数が多い仏教の一派です。浄土真宗の基本的な教えから、宗教に限らず「信じること」の効用についてわかりやすくまとめてみます。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人(しんらんしょうにん)は1173年5月21日にお生まれになりました???
— お西さん(西本願寺)【公式】 (@nishi_hongwanji) May 9, 2025
毎年5月20・21日は聖人のご誕生をお祝いする「宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)」を修行します??
法要にあわせて祝賀能、茶席、雅楽献納会などの祝賀行事も行います??… pic.twitter.com/x8EbPdWnzy
仏教というのは、神様からご利益をいただくわけではなく、また「他人と過去は変えられない」という合理的な立場から、自分で自分の心を変えることを目指す稀有な宗教です。
現在、我が国の仏教にはいろいろ宗派がありますが、要するに、生きづらい人はオノレの欲得をきれいに捨て去れば、気持ちよく成仏できますということが共通しています。
そのために、禅を組んだり、お経を読んだり、念仏を唱えたりするわけです。
その中で、浄土真宗は、方法論としてはいささか特殊な宗派です。
浄土真宗では、人間の心は欲得と思い込みまみれの汚いものだから、いくらがんばって修行をしたってそう簡単に悟りなんか開けないよ、としています。
だから、「誰でも成仏させる」という阿弥陀仏の慈悲にすがることで、救われるとされています。
この教えを「他力本願」といいます。
よく、私たちは、他人任せで成り行きが決まることを「他力本願」と呼んでいますが、本来は「他人」ではなく「阿弥陀如来」を指す言葉なのです。
親鸞は、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)という教えを通じて、どんな人でも救われることを強調しました。
阿弥陀如来は実在した人?歴史的事実と信仰の意味
📣#京都非公開文化財特別公開
— 朝日新聞社 寺社文化財みらいセンター (@asahi_jisha) April 29, 2025
9年ぶりの参加となる #安楽寿院 は、平安時代末期、約30年にわたって院政を敷いた鳥羽上皇が、洛南の地に完成させた #鳥羽離宮 の東殿に創建されました。
金色に輝く本尊・阿弥陀如来坐像は上皇の念持仏。
本日30日と5月1、2、7、9日は、専門家の解説もあります。#京都 pic.twitter.com/Ln3NCQNkrj
では、阿弥陀如来というのは、いつ頃実在した人なのでしょうか?
実は、仏教において「如来」と呼ばれる存在の中で、実在した人物は、お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)だけなのです。
阿弥陀如来や大日如来など、他の如来は、特定の個人として実在したのではなく、「仏教の教えや悟りの理想を象徴する存在」として考え出されました。
なぜ「実在しない仏」を信仰するのか?
浄土宗や浄土真宗で信仰される阿弥陀如来は、「人がよりよく生きるための理想像」としての仏です。
仏教ではこれを「法性(ダルマカーヤ)」と呼び、「法(ダルマ)=仏教の真理そのもの」が形になった存在と理解します。
ここで興味深いのは、浄土教では「信じることによって心に現れる仏」であることが重視される点です。
これは、次のような日常的な体験と通じるものがあります。
身近な例で理解する「心の中の存在」
例えば、みなさんが、亡くなったご両親や大切な人を思い浮かべたとしましょう。
- 困った時に「お父さんならどうするだろう?」と心で問いかける
- その答えが自然と浮かんできて、勇気や指針を得られる
そんな経験はありませんか。
この場合、お父さんはかつて実在した人物ですが、その時点では社会に実在する存在ではなく、心のなかだけに現れる存在です。
阿弥陀如来の信仰もこれに似ています。
「仏教の教えが生み出した理想的存在」が心の中に生きる体験と言えます。
信仰の効果は「プラセボ効果」で説明できる?
「でも、存在しないものを信じて自分の心が救われるなんて、『気のせい』に過ぎないのではないか」と考える方もいるでしょう。
しかし、近年の研究では、信仰や思い込みがもたらす効果は、単なる「気のせい」ではなく、脳の実際の変化として確認されています。
プラセボ効果(偽薬でも効果を感じる現象)の研究によると、
https://www.fmu.ac.jp/univ/kenkyuseika/research/20250115.html
- オキシトシンやドーパミンなど脳内物質の分泌変化
- 神経回路の活性化が観測される
- 痛みやかゆみの軽減など客観的な効果も
つまり、「信じる」という行為自体が、脳と体に実質的な変化をもたらすことが科学的に示唆されているのです。
たとえば、「楽しくなくても笑えば、免疫力が上がる」とか「ネガティブな言葉をポジティブな言葉に言い換えると気持ちが前向きになる」と言われるのも、実は同じ原理です。
要するに、客観的には存在しないものでも、信じるという行為によって、脳はあたかも本当に存在するものとの前提で反応してくれるのです。
浄土教信仰の本質
ですから、浄土教の信仰は単なる「偶像崇拝」ではありません。
- 阿弥陀如来の「すべての人を救いたい」という誓いを信じる
- その信じる心が、悩みや苦しみを乗り越える力となる
- 人生をよりよく生きるエネルギーが湧いてくる
という仕組みなのです。
そして、それが「気のせい」ではなく、本当にそれを引き起こす脳内物質が分泌されているのです。
このような「一念往生」と呼ばれる宗教体験は、信仰のあるなしに関わらず、「心の持ち方が現実を変える力」であることを認識するヒントになります。たとえば、こんな現象ってよくありますよね。
1.「私は絶対に合格するんだ」と思い、合格後の自分の姿を心に描くことで、その気になって本当に合格する
2.優勝に向かって一丸となっているチームが、神がかった逆転勝ちを繰り返していく
こういうことは、実は合理的に説明ができるかもしれません。
霊感商法に騙されてはいけませんが、個人的な心の中の自由に関することなら、宗教に限らず、その限りではありません。
むしろ、信じるなら疑いの余地なく信じることで、亡くなった人や架空の人から「力をもらえる現象」を経験できるなら、それはそれで悪いことではないと思います。
いかがですか。心のなかで出会っている方はおられますか。

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この記事へのコメント
それ以前、亡くなった人には会ったことも無かったので…
宿命は…の部分は松本清張の小説「砂の器」に出てくる言葉で、これをアレンジしたものです。
自分自身は自らの思考や行動で幾らでも変える事が出来ると言う部分は共通していますね。
実は1週間前、信じていた人から裏切られた思いに駆られて、モヤモヤしていました。相手を恨むというより、裏切られたという自分の心の持ちようをどのように変えたらいいんだろう?と・・・
1週間という時間の経過が少し、気持ちをやわらげていた所にこの記事で、何か少し心の道が見えそうな気配です。
考えてみたら、家も浄土真宗でした。忘れてました。
普段は寺なんて・・・坊さんなんて・・・と思っていても、何か壁にぶち当たると、心のすがりを求めてしまうものですね。
私も今回父だったらどうするだろう・・・という思いになりました。
今日は仏様に、阿弥陀様に手を合わせたいと思います。
nice!です。
それはそれで問題無いのですがそのエネルギーを外に向けるからややこしくなる。
信じる力について改めて考えさせられました。
ましたねえ。私も自分自身を、自分では救えない部類だと納得!
読まさせて頂くと自らの勉強不足を改めて
感じます。
そういう教えが込められているんですね、勉強になりました。ナイス!です。
そして自分の機嫌は自分で取るということです^^
心の中で会う人は自分自身かもしれません。
ナイスです♪
自分は亡くなった両親ですね。
信じる方かと思います。
両親のお墓に行くと、「家族を見守っててね」とお願い。
深く考えないけど、参拝はポジティブに慣れる気がします、私は😊
これは全くその通りだと思います。
人に迷惑や悪事をしないで、身に合った善意を
積んで人生を終わりたいと思い日々を暮らしています。