ブッダという男ーー初期仏典を読みとく(清水俊史著、ちくま新書)

ブッダという男ーー初期仏典を読みとく(清水俊史著、ちくま新書)は、仏教の開祖である「お釈迦様」の真の姿にアプローチした書籍です。明治以降の近代仏教研究が作り上げた「理想的現代人としてのブッダ」像を根本から見直しています。
本書は、仏教自体に全く興味のない人は、「別にどうでもいいよ」という内容かもしれませんが、仏教への信仰がなくても、関心のある方なら興味深い内容であると思います。
著者は、いわゆる「お釈迦様」の、神格化されていない実際の人間像を追究しています。
1.ブッダは、お経では神格化された記述が見られる
2.それを削ぎ落とし、歴史的に何をしたどんな人だったかを明らかにするのが仏教学である。
3.しかし、現代の仏教学研究は、古代や中世のような神格化は削ぎ落とされても、新たに近代的な価値観に基づいた「理想的現代人としてのブッダ」像を描いている憾みがある。
ということが書かれています。
科学が発達するまでは、不老不死とか、体が並外れてでかいとか、神通力があるとか、瞬間移動ができるとか、ブッダに対してそういう装飾がありました。
超人化することで、信仰の対象としての価値を高めたわけです。
それが、科学が発達した近代になって通用しなくなり、それらは「信仰の記述」であり、「歴史的な事実」ではないとされてきました。
しかし、現代のブッダ研究だって、新たに現代なりの神格化がなされているじゃないか、という指摘が行われています。
具体的には、以下のような通説に対して詳細な反証を行っています。
平和主義者説の否定:ブッダが絶対平和主義者だったという説を批判
業と輪廻否定説への反論:ブッダが輪廻を否定したという説に疑問を呈する
平等主義者説の検証:階級差別や男女差別を否定したという説を再検討
しかも、その「旧弊な学説」の例として、有名な学者の具体的な言説を次々引用しているので、要するに名だたる仏教学者たちを斬りまくっている書籍なのです。
あくまで、現代的神格化を否定
ではその3つの批判点を具体的に見ると、よくよく考えれば当然のことです。
まず、ブッダが平和主義者ではないという指摘ですが、簡単に書くと、
ブッダは仏教徒(自分の弟子や在家信者)コミュニティーにおいて殺生や争いなどを禁じたが、一般社会の戦争などについては否定しなかった
ということです。
お釈迦様というのは、王子様をやめて出家した、社会的にも政治的にも何の権限もない世捨て人ですから、それは立場的にそうですよね。
次に、ブッダは、輪廻などという非科学的なものは否定していたと現代の研究者の一部は考えています。
輪廻……人は亡くなっても、神・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄のいずれかに生まれ変わり続けるという思想です。
しかし、もともと輪廻という考え方は古代インドにあったもので、その前提で仏教は生まれたわけですから、それらの考えと無縁であるはずはないのです。
つまり、ブッダは、輪廻を前提として仏教を確立したというわけです。
「なあんだ。輪廻転生なんてあるわけないじゃん。仏教なんて信じるのやめた」
と思われますか。
ただし、私は、そこは現代の仏教では、いずれにしても本質ではないと思っています。
生まれ変わりがあろうがなかろうが、仏教とは「成仏する(欲得等の未練を残さず人生を終える)ためにはどうするか」という教えである、という本質は変わることがないわけですから。
たとえば、このブログでしばしばご紹介した佐々木閑花園学園教授は、お釈迦様研究の第一人者であり、ご自身も浄土真宗高田派のご住職ですが、「輪廻(生まれ変わり)は信じておりません」(『真理の探究』P.79)と明言されています。
3つめに男女差別云々ですが、男女平等とか、LGBTとかって、最近の話ですから、紀元前400年も前の人がそんな事を言うはずがありません。
それに、そもそも「差別があった」というほどでもないんですよね。
当時の男性優位の価値観に沿っていた、ぐらいのことで、仏教が独自に女性を蔑視したということではないと私は思いました。
出版妨害を受けた過去
諸人(研究者含む)の中には、清水俊史氏の方に問題があると勘違いしている人もいるので、佐々木先生の論文を少し紹介させていただく。佐々木先生のacademia eduからダウンロード可。
— Mihoko Oka (@mei_gang30266) January 16, 2025
佐々木閑「ブッダゴーサの歴史的位置づけをめぐる馬場紀寿氏と清水俊史氏の論争(2)」『禪學研究』第101巻、2023 pic.twitter.com/8k7HCUjGCb
いずれにしても、近現代の研究者のブッダ像は、研究者や論者の願望に沿った、いわば創作された虚像でしかなかった。
こんなことを書いてしまう著者は、どんな人物なのでしょうか。
年齢は30代。佛教大学大学院で博士号をとり、研究者として前途洋々のはずでしたが、「あとがき」によると、ある著作が学界の実力者の学説を批判したものだからということで、出版妨害をされたそうです。
「大学教授になりたかったら、本の出版はやめろ」と。
ポスドクで不安定な身分だった著者は、泣く泣くそのとき出版は諦めたそうですが、心ある人たちに励まされ、何年か遅れで本は出版されました。
その出版社が、経緯を公式サイトに公開するという異例の展開で。
著者のプロフィールには、「〇〇大学教授」と書かれていないので、その「実力者」が第一線を離れない限り、教授にはなれないのかもしれません。
まあ、人間社会というのは、そんなもんです。
「実力者」に睨まれると将来はなくなる。
「白い巨塔」は、文系理系を問わないようで。
みなさんは、仏教やブッダ(お釈迦様)について、どんな印象を持たれていますか。

ブッダという男 ――初期仏典を読みとく (ちくま新書) - 清水俊史
この記事へのコメント
ブッダは著書がないので、実際に口にした言葉でもその時の状況から切り離すと意味がずれてしまうのは常識です。そこを乗り越えようとしての解答のひとつとして、たいへん説得力があるものだと思います。
どんな方か気になります。
東塔が解体修理中だったため、八相は見られませんでしたが、迫力あるものを感じました。
一番興味があったのは、涅槃の相でした。
お釈迦様が横たわる周りに人々が取り囲んでいる姿…
全ての苦しみから解き放たれるってお話が印象的だったので…
科学が発達していなかった時代はそれで納得していたけれど発達した現代では納得しなくなった、出来なくなった、しかし仏教自体は不変である為どうしようもないと言った感じなのかな?
世の全てを科学で証明出来るかと言えばそうではないものの、だからと言って誰も経験した事のない4後や来世の事をダシに不安を煽る道具になっているのも何だかなぁ~と言った所でしょうか。
人それぞれ様々な考えや地位が有るので出版差し止めを要請したり違う見方をする方は少なからず居るでしょうけれど、自らを信じ後年になって本を出版された事は良い悪いを別にして素晴らしい事だと思います。
nice!です。
のイメージですね。
毎日畑通いができる日々を楽しみます。
宗教のトップは神格化されがちで、布教活動にはその方が都合がよいのでしょうが、うさん臭さしか感じません。
今回も難しいです 😂
親に習って 毎日 水にお茶 ご飯をお供えして 感謝してます
それは置いといて、成仏って言葉に意味を持たせ過ぎるから霊感商法がまかり通るのかもね、地獄だなんだで脅かしてるから天国への執着が生まれる。
我が家は浄土真宗ですが、日頃その教えを意識したこともありません。
しかし日本神道と融合して日本人の行動規範に影響を与えているんじゃないでしょうか。
日本は独特の宗教観があるんじゃないでしょうか。
宗教が原因で争いが起きることもほとんどないので現状維持でOKでは。
昨日何度かいっぷく様のページにアクセスしましたが、
たどり着けませんでした。
スミマセン。
逆にそういう話は信じられない、と敬遠される一因にもなりますね。
理想化して崇めたくなる気持ちも判らなくはないですが、私も実際
人としてどうだったのか、時代の制約の中でどのように生きられた
のか、ということの方に興味があります。
彼方に行く時が来たら、父母。兄弟‣姉妹に会える楽しみを(*'▽')