はたらくネットの動画から、真の「人間理解」「人間関係」を考える

「TOKYOはたらくネット」という、東京都が運営する雇用や就労に関する情報を網羅した総合ウェブサイトの面接NGワード動画を見ました。就職の面接試験で、面接官が、「出身地」や「尊敬する人物」を聞いてはいけないと知って、ちょっとビックリしてしまいました。
まず、動画をご紹介します。
令和7年度 就職差別解消促進月間 https://t.co/88VcAHKGoS @YouTubeより
— 倉持 薫 (@l4ikwgs8) June 12, 2025
就職の面接試験で、面接官が、「出身地」や「尊敬する人物」を聞いたら、それは聞いてはならないことだったという動画です。
はたらくネット(東京都)の公式サイトを確認すると、たしかにありました。
採用選考時に配慮すべき事項
就職差別につながるおそれがある14事項
として
・本人に責任のない事項の把握
① 「本籍・出生地」に関すること
② 「家族」に関すること(職業、続柄、健康、病歴、地位、学歴、収入、資産など)
③ 「住宅状況」に関すること(間取り、部屋数、住宅の種類、近隣の施設など)
④ 「生活環境・家庭環境など」に関すること
・本来自由であるべき事項(思想信条にかかわること)の把握
⑤ 「宗教」に関すること
⑥ 「支持政党」に関すること
⑦ 「人生観・生活信条など」に関すること
⑧ 「尊敬する人物」に関すること
⑨ 「思想」に関すること
⑩ 「労働組合(加入状況や活動歴など)」「学生運動などの社会運動」に関すること
⑪ 「購読新聞・雑誌・愛読書など」に関すること
面接の際、これらについて質問してはいけないそうです。
でも、こんなに禁止事項があったら、何も聞けないじゃないですか。
家庭環境はNGなのに学歴を聞く不思議
たとえば、「本人に責任のない事項の把握」はしてはならないといいます。
しかし、この「責任」という概念を突き詰めて考えてみると、その境界線は極めて曖昧です。
例えば学歴。
一般的に学歴は、「本人の努力の結果」とみなされ、面接で質問することに問題はないとされています。
つまり、本人の責任だそうです。
しかし、本当にそうですかねえ。
子どもの学力や進学率は、親の経済状況や文化的背景に大きく左右されることは、数多くの研究で明らかになっています。
質の高い教育を受けられる環境にあったか、勉強に専念できる家庭環境だったか、進学を支援してくれる親がいたか。
「親ガチャ」というではないですか。
つまり、学歴を聞くことのほうが、出身地を聞くことよりも、見方によっては「お里」が明らかになってしまうのではないでしょうか。
同様に、コミュニケーション能力や価値観の形成も、家庭環境や地域社会の影響を強く受けます。
そうやって考えてみると、「本人の責任」なんて基準を作ったら、聞けることは実は思っているよりもずっと少ないのかもしれません。
この矛盾は、現在の採用基準の根本的な問題点を浮き彫りにしています。
「自由」だからこそ見えるもの
もう一つの禁止理由である「本来自由であるべき事項」についても、疑問が残ります。
確かに思想信条の自由は、民主主義社会の基本的な価値です。
だからこそ、その人の価値観や思考の深さ、人格の成熟度を判断する重要な指標になり得るのではないでしょうか。
思想信条を聞いてはいけないのではなく、その答え次第で不当な扱いをしてはいけない、ということではないでしょうか。
「尊敬する人物」という質問を例に取ると、この質問に対する回答は、その人がどのような価値を重視し、どのような人生観を持っているかを如実に表します。
歴史上の偉人を挙げるか、身近な人物を選ぶか、その理由をどう説明するか。
これらすべてから、その人の思考の深さ、価値観の多様性、表現力などを読み取ることができるのです。
むしろ、このような「自由な」領域でこそ、その人の真の能力や人格が現れるとも言えます。
なのに、そこを聞かないなんて。
現在、多くの企業が「多様性」を重視しています。
しかし、表面的な属性の多様性だけでなく、価値観や思考様式の多様性こそが重要ではないでしょうか。
差別的な採用選考を防ぐことは重要ですが、そのために重要な情報をすべて遮断してしまうのは本末転倒ではないかと思います
価値観が違っても付き合えるところが人間関係の楽しいところ
要するに、その人を知る、ということについて、今の面接は無難にやろうと逃げ腰になっているように思います。
でも考えてみると、これは面接試験だけではなく、私たちの人間関係のあり方にもつながりますね。
たとえば、FaceBookで、友人5000人を誇っている人が、いろいろな人と仲良くなる秘訣は、「宗教」「プロ野球」「政治」の話はしない、と書き込んでいました。
私は、それを読んでがっくり。
「そんなんで『友人』が増えるのが楽しい?」
と、書きかけてやめておいた私ですが、実際そんな、何も話題にできない「うすい」関係、そもそも友だちと言えるんでしょうか。
人間なんて、全く同じ価値観も育ちも居ないのですから、考えも違ってて当たり前。
いちいち、「違い」に触れないようにしよう、なんていっていたら、心を開いた付き合いなんかできません。
お互い全然好みや生活スタイルは違う。でも付き合ってても悪くないなと思う。
そういう関係こそが、信頼関係を築けるのではないでしょうか。
「価値観の合う人」などという狭い範囲で枠を作り、そこを一歩でも外れる人とは付き合いたくない。
そういう人、いますよね。
自己愛強すぎでは?そういう人は、最後は誰もいなくなっちゃいますよ。
嫌がらせや見下し目的に絡んでくる手合は無視してもいいですが、対等だからこそ遠慮なく意見をぶつけあって、相手を理解し尊重する、そんな関係こそが、私たちの人生を豊かにしてくれるのではないでしょうか。
みなさんは、そんな「価値観の合わない親友」おられますか?

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この記事へのコメント
約5分ほどの面接で、その人の本質を見るのは無理
私が就職する頃は、遠慮なくこういうことを質問されたものだけど、今はNGだなんて…
みんな生まれも育ちも違うから、価値観が全く同じなんて人はいないけど、やはり似てる人とが付き合いやすいかなって思ってしまいます^^;
意味ない面接したって、どうしようもないです。
相手の事をよく知って、それを理解し合うのが友達だと思うけどなぁ~・・・
昔は、ずけずけ聞き過ぎたから、配慮しようということになってるのでしょうけど。過剰な印象ですね。
宗教や政治、は、ブログでもあまりすぐ明言はしないかな‥?という気はします。
宗教が違う人とも友達になれますが。相手が強く布教してくるようだったら、無理になるかも。
性格はむしろ違うほうが補い合えたり、面白がれたりするのじゃないかしら^^
ここ数年、業務上のことに関する賠償責任保険加入の案内が来るようになりました
nice!です。
自身が好きな事をディスられるのは気分が良い物ではないので理解出来ますけれど、私的には変に隠さずはっきりと言ってもらえる方が地雷を踏まずに済むと言った感じでしょうか。
自身もバイクや鉄道が好きですが、「バイク乗りなんて全員暴走族」とか「鉄道好きなんて子供っぽい、オタク」なんて言われる事が有りますが、それはその方の価値観の一部が異なるだけでその方の価値観全てを否定する事にはならないからです。
が有り得ると言った、ところでしょうかねぇ(苦笑)。
かつ、少ない情報の中からなにをもって合否判定するんですかね。
学歴はOKってのも記事にある理由で疑問に思います。
昔の私 何もしゃべれなくなります コミュニケーションが 取れなくなりますね 嫌な社会になりました
いくつかの面接を受けてきましたし、また面接側も経験
しましたが、数十分で何が分るか疑問ですよね。
雪の事を考えて通勤経路を、通院や介護の心配があるので家族構成を必ず聞いていました。
トラブルを未然に防ぐ為なのでしょうが、一寸行き過ぎのようにも感じます。
その人の興味の範囲や何を大切に考えているかわかりますから。
面接も単なる儀式化しているのでしょうか^^;
当たり障りのないお天気レベルの会話が必要な場面もありますが、友人で「宗教」「プロ野球」「政治」に一切触れないというのも変ですね^^;
阪神ファンですが巨人ファンの友人います。
相手がいないと試合になりませんから、決していがみ合ているわけではありません^^
宗教も入信を進められなければ、友人が何を信仰していても構いません。
SNS上の付き合いは薄いということなのかな・・・。
読者、友人を増やすためにニュートラル或いは全方位のスタンスをとることも悲しいこと。多様性はリスペクトしたいですが、友人は少なくていいと思っています。価値観が同じの友、これも窮屈に感じます。
相手の方から離れていきます。
必要ない気がしますね。
価値観の違う親友はいませんね。
初め聞いた時 は? 今でも言ってますが.....
「価値観の合わない親友」とか、考えた事ないですね。
淋しくなってます
その通りです、まったく同じ価値観ということはありえません
価値観の合わない学生アルバイトは
大勢所属しております 笑
かと言って、薄い関係でもないんですが
お互いあれこれ刺激しあうのも
まんざらでもないような気がしております。