「高齢女性は子ども産めない」発言から考えるー現代社会における生殖の圧力と生き方の自由

参政党の神谷宗幣代表による「高齢女性は子ども産めない」という発言が物議を醸しています。この発言は、少子化問題に関する議論の中でなされたものですが、その賛否は別として、私たちに根本的な問いを投げかけているように思われます。
参政党の神谷宗幣代表の発言は、本人が「切り取り」と言っていますが、少子化問題に関する議論の中でなされたものです。
発言にある「高齢女性」は具体的な年齢がありませんが、たしかに女性は医学的に、妊娠率が20代後半~30代前半でピークを迎え、35歳以降は緩やかに低下し、40代でさらに低下。閉経とともに自然妊娠はほぼ不可能になるといわれています。(Deepseekより)
そのことから、「事実を言って何が悪い」と開き直る熱烈支持者もいます。
【指摘】参政党・神谷宗幣代表、“高齢女性は子ども産めない”発言は「切り取り」https://t.co/iSnEFkOzBB
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 5, 2025
「高齢出産とかになってくるとリスクもある。なるべく若い段階で産むのがみんなにとっていいわけですよ。だからそういう社会の仕組みを作っていかないといけないっていうだけ」と主張した。 pic.twitter.com/3ak4DfvHYC
しかし、問題視されているのは、そのような医学的、生物学的な意味としてではなく、女性の価値を生殖能力に還元していることです。
神谷代表は過去に、「天皇に側室をもってもらう」といった発言もしています。
その人間観は、実際に出産する女性だけでなく、男性、そして皇室まで、つまりすべての人間を含んでいるのです。
これらの一連の発言から浮かび上がるのは、個人の生きる価値を「子どもを産む能力」で測ろうとすることです。
個人の選択の自由と多様な人生設計
現代社会において、子を持つかどうかは、個人の基本的な自由に属する問題です。
子どもを持つことを選択する人、持たないことを選択する人、あるいは様々な事情で選択の余地がない人、それぞれの決断には重みがあり、尊重されるべきです。
生殖の自由とは、子どもを持つ自由だけでなく、持たない自由も包含する概念です。
日本の社会には、依然として「結婚して子どもを持つことが当然」という暗黙の圧力が存在します。
しかし、人生の価値は子育てだけにあるわけではありません。
キャリアの追求、社会貢献、趣味や旅行など自己実現の形は多様です。
特に女性に対して「母親になることが最高の幸せ」というステレオタイプを押し付けることは、その他の生き方を否定することにつながりかねません。
天皇を「世継ぎを生産する機関」と見なす発想にしても、皇室成員一人一人の人格や幸福よりも、制度維持のための「生殖機能」を優先させている憾みを指摘せざるを得ません。
人間の尊厳は生殖能力とは無関係です。
天皇であっても、個人の人生選択は尊重されるべきです。
現代社会における「生殖の前提」の崩壊
ここでまた、しばしばご紹介する筋肉弁護士の意見を引用します。
パレートの法則(80:20の法則)というのがあるが、「出産子育て適齢期」の男女関係についても当てはまるといいます。(https://www.youtube.com/watch?v=nkFgshytN-8)
いわゆる「三高(高収入、高学歴、高身長)」の男性は全体の20%。
釣書きや財力、見てくれを欲しがる「玉の輿志向」の女性たち80%は、その20%の男性に集中する。
すると、「非三高」の80%の男性はあぶれる。
彼らは、「三高」にこだわらない残り20%の女性から探すが、最大限まとまっても、60%の「非三高」男性があぶれる。
一方、20%の「三高」男性に群がった80%の「玉の輿志向」の女性たちも、60%があぶれる。
あぶれた60%同士が結ばれればいいが、そうはならないから、結婚し損なう男女が一定数出てくる。

まあ実際には結婚は男女対等の問題ですし、「三高」男性が、かならずしも「玉の輿志向」の女性を選ぶとは限らないので、話はそう単純なものではないことはたしかです。
ただ、何をいいたいのかというと、格差や、まだまだ残っている男性社会イデオロギー、裏を返すと「世間体のいい男性」を渇望する「古典的な女性」の存在、という現実がある以上、マクロな統計としてこの「パレートの法則」は、当たらずといえども遠からずではないかと思えます。
縁談がまとまらなければ、子どもは作れません。
神谷代表が、「生殖繁栄こそ我が党の政策」と自信を持って言い切るのなら、この出産子育て適齢期でも結婚できない一定数が出る問題に対して何らかの方策を述べるべきです。
「もっと子どもを産め」というメッセージだけでは、すでに困難を抱えている人々をさらに追い詰める結果になりかねません。
人間の価値は生殖で決まるのか
仏教では、「縁起」と「無我」という考え方から、人間の本質に固定的な「価値」はないとしています。
ましてや、「生殖能力」や「社会的地位」「所有物」などの外的要素は、その人の独自の価値とは認めていません。
わかりやすく書くと、人は他者や自然などとの関わりの中で存在しているので、その人の能力のみによる手柄などは存在しない、ということです。
出産するもしないも、その人をめぐる様々な事情やしがらみ、その経緯に基づいた人生観によって決まることであり、誰もが「生みたいから生むわ」といって産めるものではないでしょう。
子どもを無事生むことができるのも、「みなさんのおかげです」ということです。
いずれにしても、現代の日本社会が直面しているのは、「少子化」という現象そのものよりも、むしろひとりひとりが人生をおうかできる「多様な生き方を認められるか」という課題ではないでしょうか。
国民が、「人生楽しい」と思える世の中なら国も活力が出てくるし、「少子化」にもよい影響が出るかもしれません。
みなさんは、この問題をいかがお考えですか。

まちがいだらけの少子化対策: 激減する婚姻数になぜ向き合わないのか - 天野 馨南子
この記事へのコメント
世間一般で言われる少子化に少なからず影響を与えたのかな?
閉経するまで妊娠の可能性はあるけど、35歳以上になると高齢出産のリスクが大きくなるのも事実です。
なるべく若い段階で産むのがって言われても、現状今の社会では厳しいですよね。
それに、すぐに自然妊娠するとか限らないですし…
この代表の人には、妊娠することもいかに大変か知って欲しいです。
法治国家という前提ならば違法行為でないことは基本自由です。
子供を持とうが持つまいか、結婚をしようがしまいが自由で、他者から非難されることではありません。
ばらまいているだけ。
子どもを増やさないと社会保障制度が崩壊するから
お金をばらまいてでも、子どもをたくさん産んで
もらわねば困るという発想。
どうなんでしょうね。
でも女性は子供を産む道具ではないので、自由選択でなければいけないと思います。
あんまり強い事は、言え無いといったところだと、私は思っています。
記事にもある通り子供を産むか生まないかはパートナー間の問題だと思います。
少子化は一部の地域を除いた全世界的な問題ですが、
少子化対策が国家レベルで功を奏した成功例はあるんでしょうか。
子供が増えている地方自治体の取り組みは参考になるとは思いますが、
根本的な少子化対策や避けられないであろう少子化について、
もっと将来的なビジョンを持って議論してほしいです。
後半にあるコメントを勝手ながら抜粋させていただきます。
『国民が、「人生楽しい」と思える世の中なら国も活力が出てくるし、「少子化」にもよい影響が出るかもしれません。』
まさにこの部分に集約されると感じました。
一国のリーダーを相手に論戦が繰り広げられる中で、
『人生楽しい』
と思える要素があまりにも薄いと感じる今日この頃です。とはいえ、有権者の権利を放棄するわけにもいかないので、投票しますが。
生まれ、一人は中々恵まれず今は諦めモード。
最後の一人は3人に恵まれましたが経済的に今大学生と
高校生で苦労しています。
それぞれの生き方、あり方は尊重されてほしいです。
少子化対策には、安定した収入と安心して産んで育てる事ができる環境が大切だと思います。
※前記事の名無しコメントは私です。大変失礼いたしました<(_ _)>
高齢でも出産はできますね・・
どこの国か忘れましたが子宮を失った娘の代わりに
お母さんが代理出産したというニュースを見ました (#^.^#)
色々ある人生でしたが、終わり良ければ、全て好かな(*'▽')
その孫もやっと高校生になりましたが、親戚中従妹が居りません。
その孫1人が親戚中の残された後始末をしなければならないのか、心配してます。
人が居ないと何を言っても受け継良いでくれないで絶滅危惧種になるだけでしょうね~(>_<)
結婚するのもしないのも、子供を産むのも生まないのも自由は良いですが、
何でも自由の世の中、どうして自由になりすぎたのか? 重要な議論がないままでは「少子化」は当たり前です。
先日、ふとした事からある大企業の協力会社の給料を、書き込みで知ったのですが、40歳男性 年収400万円、20代後半 300万貰ってない人も え?
書き込みには、これでは結婚も子供も育てられないと......
「高齢女性は...」うんぬんより現実を知って欲しい政治家さんです。
少子化と言う事は、人工不足、働き手が居ない、多々問題が・・解決方法が
どうあがいても、無いですね〜
子どもを産みたがらない女性
超後期高齢の私には理解できません
nice!です。