『妖怪人間ベム』に息づく仏教思想:自己犠牲と救済の物語
面白い論文があったのでシェアします。『妖怪人間ベム』は、その物語の奥深くに仏教思想、特に「菩薩思想」が息づいているという考察です。アニメ版は1968年(昭和43年)10月7日~1969年(昭和44年)3月31日までフジテレビ系列で、実写ドラマは2011年、10月22日~12月24日まで、日本テレビ系列にて放送されました。
仏教イノベーション、てご存知ですか。
仏教の教えや実践を、現代社会のニーズに合わせて、より多くの人々に受け入れられるようにしていく取り組みのことです。
これは、仏教が持つ普遍的な価値を活かしつつ、時代に即した形で伝えていくことを意味します。
その中の一つに、「仏教の教えを現代的な言葉で表現する」取り組みがあります。
たとえば、既存の小説やドラマやアニメーションなどのモチーフから、「仏教の教え」が含まれていることをを読み解き、実は現代社会の文化や価値観に、仏教の教えが反映されていることを示していくことです。
そのひとつとしてご紹介したいのが、三浦宏文先生の「サブカルチャーに表れる仏教思想の諸相 ─ドラマ『妖怪人間ベム』に表れる菩薩思想を事例として─」『実践女子短期大学紀要35』(pp.73-84, 2014年)という論文です。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001201683992832
妖怪人間ベム、ベラ、ベロは、正義感が強く、人間になることを夢見て、人々のために悪と戦う物語です。
かつて放送されたアニメでは、子どものベロが中心に描かれ、2011年のドラマでは、アニメ版を原作としつつもオリジナル要素を多く含み、主人公ベム(亀梨和也)を中心に、ベラ(杏)、ベロ(鈴木福)といった人気キャストが話題となりました。
彼らは人間になることを強く望んでおり、人間社会に溶け込もうと努力します。
しかし、結局、彼らは人間になりたいという夢を断念してでも、人間たちを永久に救い続けるという決断をします。
#子供の頃によく再放送していた作品
— 知らぬ顔の半兵衛 (@kubineko) June 29, 2025
怖いのに…昔の作品故に絵が正直絵が怖いのによく再放送していて好きだったのが妖怪人間ベム🙂!
意外と変身の回数が少なかった記憶。 pic.twitter.com/Issu06R05O
一見すると娯楽作品に過ぎないドラマですが、仏教の教えー自利利他の精神ー(自分さえ良ければいいのではなく、他者のために尽くすことと自らの自己実現は一体のものであるという考え)を描いていたと考察しています。
菩薩に通じる行動原理
#自分が愛する非人間キャラxOK
— Miku (@Miku85046641) June 21, 2025
《妖怪人間ベム》
動画はベラ(杏)の変身シーン
“三人?とも人間になりたい”んだよね pic.twitter.com/MklMMlGgPD
ドラマ『妖怪人間ベム』の根底に流れるテーマは、ベムたちの行動原理に集約されています。
彼らは、人間になりたいから、人間からその異形の姿を恐れられ迫害されながらも、人間社会に溶け込もうとします。
そのために、困っている人々を救おうとします。
人間たちは、相変わらずベムたちを粗末に扱います。しかし、ベムたちは、「助けを求める人間を見過ごすことは出来ない。そんなことをしたら、俺達はただの妖怪になってしまう」という言葉を第1話から最終話まで一貫して言い続け、人を助け続けます。
そして、いつしか、「人間になる」という所期の目的よりも、「人間を救う」ことに自らの生きる意味を見出します。
最終回でベムたちは、「自分たちが人間になってしまったら、寿命ですぐ死んでしまう。ずっと人間を救いつづけることが出来ない」と述べ、人間にならずに人間たちを救い続けることを選択するのです。
これが、大乗仏教の菩薩(ぼさつ)の精神であると、著者は指摘します。
菩薩とは、「悟りを目指して修行中の者」、あるいは「悟りは開いたけれども、人々を救うためにあえてこの世にとどまる慈悲深い存在」を指します。
とくに、衆生を救済することに身を捧げ、あえて自分は成仏しないことを選んだといわれる大悲闡提(だいひせんだい)の菩薩に通じると、著者は結論付けています。
日本に伝来した仏教は、大乗仏教といいますが、「自利とは利他をいう」(最澄の言葉)というように、自分の幸せや悟りが、他者の幸せを願うこと、他者のために尽くすことと深く結びついていると考えられています。
他者の喜びを自らの喜びとすることで、真の自利が得られるという教えです。
ベムたちの、「すべての人を救わなければ、自分たちはただの妖怪になってしまう(人間にはなれない)」という言葉には、他者の救済に尽くす「菩薩」として生きるという強い願いが込められていると論文は読み解きます。
彼らは、人間になることよりも、苦しむ人々を救うことを優先する、まさに菩薩の利他行を体現しているというわけです。
このように、日本の仏教は、利他優先、もしくは自利と利他は一体化したものであるという教えが基本にあります。
つまり、自分さえ良ければいいとか、自分の利益のためにひとさまを踏み台にするとか、そうしたことを戒めています。
自分ファーストではないのです。
現実の日本人が、はたしてそうなっているかはともかくとして……(汗)
サブカルチャー作品にも計り知れない深遠な思想
作品に、仏教のモチーフを持ち込んだ作家としては、宮沢賢治が有名です。
その他、夏目漱石、芥川龍之介などもその傾向があります。
面白いのは、『妖怪人間ベム』は、アサツー ディ・ケイという会社が制作していますが、とくに仏教と関係が深い会社というわけではなく、つまり無意識のうちにそれがモチーフなっているかもしれないということです。
日本の小説、映画、ドラマ、アニメなどにも、まだまだ探せばこうした作品があるのではないかと思います。
いずれにしても、この論文は、私たちが普段何気なく触れているサブカルチャー作品にも、計り知れない深遠な思想が潜んでいる可能性を示唆しており、その再発見の重要性を教えてくれた点が興味深いと思いました。
『妖怪人間ベム』、ご覧になりましたか。

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この記事へのコメント
でも、アニメの雰囲気が怖かったので真剣には見ていなかった気がします^^;
アニメ版の最終回に人間になる方法を見つけたのにそれを選択しなかった点が印象深い作品でした。
いくら願っても、人間のために行動しても、
妖怪は人間にはなれないと、わかっている
から、せつない存在です。(特にベロが)
オープニングで「人間になりた~い」と言っていたフレーズを覚えています。
迫害されつつも自らを犠牲と言うか二の次で周りの人々に尽くす姿は子供心に刺さるものが有りました。
今の自分を形成する中でマンガは関与した部分って結構有るのかもしれませんね、当時はドロロン閻魔くん等人間ではない人々が人を救うと言うマンガが有りましたね。
nice!です。
こうして中を紐解いて、意味深さを説いてくれると納得し、また見たくなりますね。
最近自分ファーストの考えの人が多いから、心が洗われる感じがします。
の「都会の夜」がこの番組のテーマソングが流れて
いるときに、表示されているような風景なら、現実
より、星もたくさん良く見え、綺麗だったろうと、私
は感心していましたが。
私はゲームは門外漢。信心の方はあまりありませんが、ご先祖守りでお寺にはきちんと。ご奉仕のボランティアと仏様とは通じていると思っています。
「早く人間になりたい」は今でいうと流行語大賞でしょうね。
こんな解釈もあるんですね。
作者が意図してストーリーを展開していたかはちょっと疑問ですが、
いろいろな作品をそういった視点で観てみるのも面白いかもしれません。
私 子供の頃 怖いけど 好きで見てたのが ベム・赤胴鈴之助・赤影
人間になりたい 強烈な印象で あーー人間だ良かったと 思って
見てましたね 昔のテレビは 素朴で ちゃっちいけど 人間の心
道徳のテレビが多かったと思います
ちなみに 海のトリトンや キャンディーキャンディーも ・・テレビっ子でした
”はやく、人間になりたい・・”
いい年してテレビアニメを楽しみに見ていました❗
見た事はないですね。
大乗仏教の教えが「自利利他」なのですね。
ともすれば利己的になってしまう私ですが、利他の考えも取り入れる必要が有りますね。
怖かったです。青い目の少年を化け物ばあさんが狙う話とか。
怖いながらも観てました。
そういう結末だったとは。
人気のある作品の根底には何かしら、そういった思想が流れているように思います。
はっきり打ち出すかどうかは別として。
人の胸を打つには、大事なのでは。