正信偈(しょうしんげ)の読誦で日々の「精神統一」
正信偈(しょうしんげ)という、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が著した『教行信証』の「行巻」に収められている偈文(げもん)をご存知ですか。私は浄土真宗の門徒ではありませんが、ここ最近、精神集中を目的として、正信偈の読誦をはじめました。
正信偈というのは、正式名称は『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』と言います。
親鸞聖人が、阿弥陀仏の本願念仏の教えに出遇った喜びと感謝の思いを、七言六十句の偈文にまとめたものです。
浄土教(浄土宗、浄土真宗など)は、『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』という“浄土三部経”に基づいた教えと言われていますが、親鸞はそれらのお経を独自に解釈して『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)という書物にまとめました。正信偈はその中の一節です。
浄土真宗は、それが事実上の経典のため、メイド・イン・ジャパンの仏教などといわれますが、現実に日本でダントツに信徒が多いのは浄土真宗です。
で、私はここ最近、日課として正信偈の読誦(どくじゅ=偈文を読むこと)を続けています。
理由は、精神統一のためです。
私は、日常的に、過去の不快なことを思い出しては、その憤りでいつも腹を立てている凡夫なので、それだけエネルギーを不毛なことに奪われて、ケアレスミス、判断間違い、ストレスによる無気力倦怠など、さらに自分を傷つけています。
とくに、何かの作業中に、そういうことが頭に浮かぶと、もう集中できなくなってしまうのです。
このままでは精神が病んでしまう、という危機感を抱きました。
脳科学的にも、そのようなストレスは、コルチゾールというストレスホルモンを作り出し、脳の海馬を痛めつける(認知症の一因になる)ことがわかっているそうなので、脳をそうしたことから解放する時間がほしいと思いました。
読誦を始めてから、以前よりも集中力が増し、穏やかな気持ちで過ごせる時間が増えたように感じています。
「読経」と「読誦」の違いについて
私には子供の頃から耳馴染み深い正信偈(浄土真宗のお経)の中にある「白骨の章」は親鸞聖人の死後に蓮如上人が書かれた御文(おふみ)の一つで、葬儀の際に読まれる。
— いけチー@遠神恵賜 (@RSK26734) April 27, 2025
されば朝(あした)は
紅顔ありて
夕(ゆうべ)には白骨となる身なり
この無常観を表すくだりは余りにも有名だが、共感しかない。 pic.twitter.com/k8gzi9lMg0
仏教にあまり馴染みのない方にとっては、「読経」と「読誦」の違いは分かりにくいかもしれませんね。
まず、正信偈というのは、僧侶がお勤めに唱えることはありますが、冒頭に書いたように親鸞の書き物であり、お経ではありません。
お経というのは、お釈迦様が説かれた教えや、弟子を通じてそれを伝える構成になっています。
つまり、簡単に述べると、お経とは「お釈迦様の話」です。
文字通り、〇〇経という名称です。
読経(どきょう)は、そのお経を読むことです。
これに対し、「偈文(げもん)」は、仏様の直弟子ではない仏教関係者が、仏様や菩薩様の功徳を讃えたり、教えを説いたりする際に用いられる韻文形式の文章であり、それを声に出して読み上げることを「読誦(どくじゅ)」といいます。
読誦がもたらす心身へのメリット
写経32日目
— まる@マルハナバチ (@bumblebee_maru) June 26, 2025
母の実家の法事で
よく読まれていたお経
ふと、あれはなんのお経だったのかと調べたら『正信偈』と『念仏・和讃』という名称だった
お経ではなく偈文というものらしい
本当に知らないことばかりだ
正信偈も練習したい#写経#般若心経#筆遣いが上手くなりたい pic.twitter.com/QCo4wP8phR
私が読誦を続ける一番の理由は、その精神集中効果にあります。
YouTubeには、住職が読誦している動画がいくつもあるので、その動画と一緒に自分も読んでいます。
正信偈は、普段使い慣れない漢字や、独特の声調があり、また休みなく字を読み続けるので、余計なことを考えていると、すぐに動画から置いていかれます。
とにかく集中して、その声調や読み方を正確に追っていく作業に集中することで、自然と心が一点に集中していくのを実感できます。
余計な雑念が入り込む隙がなくなり、読誦中はまさに「無」の状態になれるのです。
これは、日々の喧騒の中で凝り固まった思考をリセットし、心をクリアにするのに非常に有効だと感じています。
また、読誦は集中力だけでなく、記憶力の強化にも繋がると言われています。
繰り返し声に出して読むことで、脳が活性化されるのでしょう。
精神を集中させることで、精神の安定やストレス軽減といった効果も期待できるとされています。
実際に、読誦を終えた後は、心が落ち着き、穏やかな気持ちになっていることが多いです。
仏教的な意味合いで言えば、読誦は故人の成仏や安寧を願う効果も期待できるとされていますが、私にとっては、自身の心の平穏と集中力の向上こそが、読誦を続ける大きな動機となっています。
なぜ「読誦」なのか
坐禅や写経など、心の安寧のための仏道修行はほかにもありますが、私が読誦を選んだのにはいくつか理由があります。
まず、正信偈のような韻文形式の偈文は、お経に比べてリズムがあり、素人でも比較的読みやすいという点が挙げられます。
独特の節回しはありますが、そのリズムに身を任せることで、自然と読誦に集中できます。
次に、手軽に始められるという点も大きいです。
坐禅は、正しい姿勢や呼吸法を学ぶために、指導者から直接教えを受けるのが望ましいとされています。
身心が美しくなる 禅の作法(星覚著、主婦の友社) Kindle版 https://t.co/GOo6o4RFpO #仏教 #曹洞宗 #坐禅
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) June 7, 2025
しかし、読誦であれば、YouTubeなどの動画サイトで多くのお手本が公開されており、それらを参考にしながら自宅で気軽に始めることができます。
そして、読誦を続けていくうちに気づいたのが、詩吟にも通じる奥深さがあるということです。
声の出し方、息継ぎのタイミング、そして情感の込め方など、練習すればするほど味わいが出てきます。
ただ文字を読むだけでなく、声に出して表現することの面白さに気づき、それがまた読誦を続けるモチベーションにもなっています。
うまく読めると、なんか、芸を一つ身につけられたような気持ちになります。
門徒であるか否かに関わらず、精神的な集中力を高めたい方や、穏やかな時間を作りたい方にとって、読誦は非常に有効な手段の一つになるのではないでしょうか。
みなさんは、精神を集中、安定させる試みはなにかされていますか。

正信偈もの知り帳 - 野々村 智剣, 仏教文化研究会
この記事へのコメント
尤も、父親が亡くなるまで浄土真宗であったことさえ知らなかったので…
でも、般若心経は唱えたりしてました。
読んでみたいですね
寺で、お経を暗唱させられました。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光 ・・・」
子どもの頃に暗唱させられたので、忘れはしません。
nice!です。
「うまく読めると、なんか、芸を一つ身につけられたような気持ちになります。」という感想に気持ちが伝わって来ました。
人は理論より心理で動くので、メンタルコントロールは非常に大切です。
たまたまお墓のあるお寺がそうだというだけで、積極的な門徒ではありません。
お墓は遠いので比較的近くに住む兄に任せっきりです。
最後にお墓へ行ったのは4年前という親不孝者です。
なので、正信偈なるものもまったく知りませんでした。
ストレスを発散したり集中力を高める術があるのは良いですよね。
勉強になりました。
詳しいことはわかりません。
いっぷくさん、頭使いすぎてお疲れなのでは?
精神が病んでは何も得る事ないです。お気を付け下さいね。
読誦は精神統一には良いかもですね。
凡人なので、自分が解決できない事は
悩まないことにしています。
精神統一のため読誦ですか!!
言葉は初めて聞きました。
読経とは違うのですね。
私は家がお寺の境内にあったので母が
良くお経を読んだり写経をしたりと
いつも一緒に付いて行ったのですが
私は身に付きませんでした。
般若心経・白隠禅師座禅和讃を1巻挙げます(夕は参拝だけ)
深い意味は有りませんが、自分に恥じない行いをして暮らせて
いるとは思っています。
>馬場さん
>2025年07月08日 15:50
>今日のブログ読ませて頂いて、以外でした。
>いっぷくさん、頭使いすぎてお疲れなのでは?
きっと私は、気持ちが小さくココロザシが低いのだと思います。
物忘れはよくしますが、「あの時こうすれはよかった」とか、「どうしてあの人はこんなことをしたんだ」といったことはなかなか忘れません(汗)