「仏弟子」という言葉を考える~千原せいじ氏の報道をきっかけに~
最近のニュースで、千原せいじさんが日本仏教協会の顧問を辞任した話題が取り上げられています。報道の中には、せいじさんを「仏弟子」と表現するものも見られました。しかし、千原せいじさんは天台宗で得度をしただけで、お釈迦さまの直弟子になったわけではありません。
今回のニュース自体は、特に大きな意味を持つものではないと思います。
【公表】千原せいじ、日本仏教協会の顧問辞任 本人から辞任の意向https://t.co/VoAfIHy9Q8
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 22, 2025
5月13日に千原から顧問辞任の意向があり、さらに6月25日には千原の顧問弁護士から辞任届が届いたという。得度し天台宗の僧侶となった千原は、昨年11月に日本仏教協会の顧問に就任していた。 pic.twitter.com/ygd8XRNeEx
日本仏教協会という団体は、仏門に入っておられる方でも、多くの方は聞いたことのない任意団体であると思われます。
むしろ今回の報道によって、その存在が広く知られることになったと言えるでしょう。
私はそれよりも、千原せいじさんが得度して以来、「仏弟子」という表現で語られることが気になっています。
というのも、せいじさん個人の言動によって、それが仏教そのものの問題であるかのような誤解を生む可能性があるからです。
「仏弟子」という言葉が持つ二つの意味
「仏弟子」という言葉は、使われる文脈によって、少なくとも二つの異なる意味を持つことを理解しておくと、混乱を避けやすくなります。
第一の意味は、文字どおり「お釈迦さまの直接の弟子」というものです。
お釈迦様の教えを直接聞き、共に修行した弟子たちを指します。
経典に登場する、目連(マハーモッガラーナ)、舍利弗(シャーリプトラ)、阿難(アーナンダ)といった方々が、この範疇に入ります。歴史的存在としての仏弟子です。
第二の意味は、仏教の教えを信じ、学び、戒律や瞑想などの実践を通じて仏の道を歩む人全般を指すことがあります。
出家した僧侶はもちろん、在家の信者であっても、仏法を学び実践する人は「仏弟子」と自称したり、呼ばれたりすることがあります。
千原せいじさんは、僧籍をお持ちですが、テレビやYouTubeに出演して芸能活動を続けており、一般的なイメージにおける本格的な修行をされている様子はうかがえません。
このような場合、彼を「仏弟子」と呼ぶことには、やはり違和感を覚える方もいらっしゃるでしょう。
宗派による呼び名の違い
「仏弟子」という表現は、すべての宗派で好んで使われるわけではありません。
宗派によって、信者や修行者を指す言葉は実に多様です。
例えば、浄土宗や浄土真宗では、「仏弟子」という言葉よりも、「門徒」や「浄土の行者」、「信心者」といった呼び方が一般的です。禅宗では、「参禅者」や「修行者」、「在家禅者」などが用いられます。日蓮宗系では、「法華行者」や「妙法の行者」など、お題目や経典に即した呼び方を好む傾向があります。
私が思うに、お釈迦様の直弟子ではない現代の信仰者が、「弟子」という自覚を表明したい場合は、「仏弟子」ではなく「仏門弟子」という言葉が適切ではないかと思います。
これは、お釈迦様個人の直接の弟子ではなく、あくまで仏教という「教えの体系(仏門)」を受け継ぐ修行者であるという意味合いを持ちます。
この表現であれば、歴史的な齟齬を生むことなく、信仰者としての自覚を表明することができるでしょう。
なぜ「仏弟子」の定義にこだわるのか
本日
— チャンス大城 (@ooshirofumiaki) May 2, 2024
得度式に行かせて頂きました
千原せいじさんが
天台宗の
千原靖賢和尚になられました
おめでとうございます pic.twitter.com/lRg0u1fcBw
なぜ今回、「仏弟子」という言葉の定義にこだわったのか。
それは、この言葉の多義性を正しく理解しないことには、さまざまな弊害が生じる危険性があるからです。
まず第一に、千原せいじさんの例のように、ある人物が「仏弟子」と呼ばれると、周囲の人々はその人の言動や倫理観を、直接的に仏教的規範と結びつけて判断しがちになります。
わかりやすく言うと、実際には信仰そのものの問題ではなく、その個人のパーソナリティや行動に起因する問題であっても、あたかも仏教の教えそのものに構造的な問題があるかのように、誤解されてしまう可能性があるのです。
逆に、「仏弟子」という言葉が一人歩きし、一種の権威のように利用されてしまうケースも懸念されます。
例えば、一般人に対する宗教的な権威付けとして用いられ、霊感商法やカルト的な団体への勧誘の文句に使われるようなことがあってはなりません。
したがって、私たちは以下の二点を明確に認識しておく必要があります。
1.歴史的・原義的な意味での「仏弟子」、すなわちお釈迦様の直弟子は現代には存在しない
2.広義の「仏弟子」に含まれる人々も、信仰の深さや実践の度合い、宗派における責任や立場は様々
寺に住み込んで厳しい出家修行をしている僧侶もいれば、千原せいじさんのような在家の僧侶も、また、特に自覚的な活動をしていない一般の門徒の方もいらっしゃいます。
「仏弟子」という一つの言葉でこれらを十把一絡げにすることはできないのです。
今回の千原せいじさんの報道をきっかけに、「仏弟子」という言葉、そして私たちの信仰のあり方そのものについて、改めて考える時間を持てたなら、それはとても意義深いことではないでしょうか。
要するに、「緩い」修行僧・千原靖賢の「しくじり」を以て、仏教をどうこういうのは短絡的であるということです。
仏弟子の意味、ご理解いただけましたでしょうか。
そして千原靖賢(ちはらせいけん)よ、これを機会にちゃんと修行しろ!

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この記事へのコメント
炎上しましたが、ぶっちゃけ単なる話題集めの為に仏門に?と思ったのと
どうせ話題になるのなら、補陀落渡海だったら問題になるから
千日回峰行でもやればと思ったことがあります
当該団体は一般社団法人ですな:D
僧侶って人格者のイメージでしたが、千原せいじさんみたいな方も含まれるとなると、ちょっとがっかりしてしまいます。
顧問は日本仏教協会の中の人ではありませんね。
何か意図がある様に感じます。
nice!です。
無かったですね。参考になる事例の紹介感謝!
お寺も「人」がいないので、来月はグランドゴルフの集りに駆り出されます。
俳優になったり MCにも 昔の人も この人 お笑いだったんだよ・・と
子供達に言うと びっくりし 多才の方が多いですね
最後は なにをめざすのか?? 芸能界で悟るのでしょうか??
売らんがための姑息な手段に思えてしまいます。
仏の弟子ですか・・・
無知な私にはほど遠いことです 😂
今も信じられない!
でも、国内では言葉を省略したり、意味を深く考えずに表面だけで判断して使ったりする例が極めてに多いので、そのような表現が溢れてしまう・・・言い方を変えると、それだけ日本人の思考能力が落ちているのだと思います。