葬式仏教の背景と直葬の是非
京都新聞が、通夜や告別式を行わずに火葬のみを行う「直葬」が日本で急増している現状について、報告する記事をリリースしています。日本人の多くは、「葬式仏教」といって、仏教式による葬式でないといけないのではないかと思いがちですが、そうでしょうか。
今日の情報源です。
「迷惑かけたくない」葬儀せず火葬のみの「直葬」が急増 費用や手間…「家族が満足できれば」(京都新聞) https://t.co/wpYYbb0J3K
— 京都新聞 (@kyoto_np) November 9, 2025
直葬は、「費用を抑えたい」「家族に手間をかけたくない」といった理由から選ばれており、特に高齢者層を中心にニーズが高まっている、と京都新聞が報じています。
僧侶からは、身内がいる人による直葬の増加は、「時代の変化」として受け止められつつも、伝統的な葬送のあり方からの逸脱に戸惑いの声も上がっています。
しかし、実際に直葬を経験した遺族からは、「ゆっくり故人を偲ぶことができた」「満足度が高い」といった意見が多く、簡素化された葬儀形態への支持が広まっていることがわかります。
企業による身元保証サービスでも直葬がセットで提供されるなど、「迷惑をかけたくない」という現代的なニーズに応える形で、葬儀のあり方が急速に変化している状況であることを伝えています。
もともと葬式は仏教の行事ではなかった
葬式というと、「葬式仏教」というぐらいで、まるで仏教が考え出した行事のように見られますが、歴史的にそれは正しい見方ではありません。
仏教は、もともと6世紀前半、朝鮮半島の百済(くだら)経由で中国から導入されたといわれていますが、聖徳太子(厩戸皇子)によって、国家の災いを鎮め、安泰を保つ思想や政策として篤く信仰され、国の精神的な支柱として確立されました。
このことを「鎮護国家」といいます。
特に奈良時代において、僧侶(官僧)は、現代の「国家公務員」に非常に近い存在でした。
この時代の「公務員」としての僧侶の主な仕事は、国家鎮護のための祈祷、仏教経典の研究(学問)であり、あくまで「国家を護る」仕事だったのです。
一般庶民や個人の「死」や「救い」は対象外であり、現代の僧侶が行うような、葬儀・法事といった個人行事には原則として関わりませんでした。
それどころか、死を「穢れ(けがれ)」として避ける傾向さえありました。
それがどうして変化したのか。
まず、平安末期~鎌倉時代になって、戦乱や飢饉、天災が続き、人々は「国家がどうなるか」より、「自分自身がどう救われるか」が最大の関心事になりました。
そんなときに、鎌倉仏教と言われる、現在の伝統仏教諸宗派(浄土教、密教、禅宗、日蓮宗等)が誕生し、仏教の役割が「国家鎮護」から「個人の救済(死後の安心を含む)」へと大きくシフトしました。
これが、「葬式仏教」が生まれるための土壌となります。
そして最大の要因は、江戸時代に「檀家制度(だんかせいど)」が確立されたことにあります。
徳川幕府は、当時急速に広まっていたキリスト教(切支丹)を弾圧・禁止するために、「寺請制度(てらうけせいど)」という仕組みを作りました。
全国のすべての民衆に「自分はキリスト教徒ではない」という証明をさせるため、必ずどこかのお寺の「檀家」になる(所属する)ことを義務付ける制度です。
これによって、寺院は、今の住民基本台帳を管理する、奈良時代とは違う意味での「公務」を担いました。
その結果、人々は、信仰の自由とは関係なく、家単位で強制的にお寺に所属させられました。
寺院は、その見返りとして、所属する檀家の葬儀や法事(先祖供養)を、独占的に行う「収入源」を得ることになりました。
その後、明治政府は、神道を国家の中心に据えるため、いったん仏教を弾圧(廃仏毀釈)し、檀家制度も法律上は廃止しました。
しかし、江戸時代を通じて「葬式や法事、お墓の管理=お寺がやるもの」という習慣が約250年間も続いて国民生活に深く根付いていたため、その慣習だけが現代まで残っているわけです。
「葬式仏教」にとらわれる必要はない
冒頭の「直葬」の話に戻ります。
私は再三書いていますが、「葬式仏教」は、見てきたように、江戸幕府が決めた名残に過ぎません。
ですから、令和のこんにち、仏教を信じていない人が、仏教に基づく葬式を無理にする必要はありません。
普段、対外的には、「別に私は信じていないんですけどねー」などとエクスキューズをかまし、仏教を何か恥ずかしいもののように扱っているくせに、いざ身内の葬式になると、導師(読経する住職)を呼ぶご体裁は、私には理解できません。
一切経(お経)の内容は総じて、お釈迦様が説いたとされる教えと弟子との物語なんです。
ですから、仏教に興味のない人が聞いても、何の意味もないものだと私は思います。
そして、読経は、亡くなった人に対して行うのではなく、葬儀に列席する人が聞くものです。
したがって、仏教を信じていない人が、導師を呼ぶ意味は全くないのです。
今は葬儀会社だって、無宗教の人には、音楽葬にするとか、信教の違いや有無に寄り添った葬式の提案をしてくれています。
直葬だから、成仏できないとか、そういうことはありませんからご安心ください。
正確に言えば、読経すれば、亡くなった人が「安らかに眠ることができる」という合理的な根拠は全くありません。
私の結論は、葬式を出してくれる家族がいようがいまいが、コスト、信仰、亡くなった人との関係、そういった実態に即したお見送りをしてさしあげるのが一番だと思います。
みなさんは、直葬は、いかがお考えですか。

葬儀社は教えたくない: 直葬・火葬式のやり方 (直葬・火葬式専門) - 株式会社DEEM
この記事へのコメント
人に気を使ってへとへとになりながらやり、来てくれた人に返すために10年以上、新運を見ては関係者の葬式に出向きました。その大変さがあったので、母の時は新聞には出さずそっと親類縁者だけを呼び、小さくやったのです。でも一応葬式、お通夜など一通りやりました。
この記事を見て、直葬も良いかも!と思ったけど、一日で終わる寂しさと家族だけも寂しいな!という気持ちも少しあります。自分の時はどうしたいか?もう少し時間があるので考えます。
見ていると家族葬とか一日葬、火葬のみの欄が多いですね。
義父も、生前「自分では家族葬で十分なんだけど付き合いの上でそうはいかないんだろうな。」って事で大々的に神式で送り出しました。
自分の時は年賀状じまいもしたので、直葬で構わないと思っています。
慣習に従った方が安心してもらえるなら本人の希望を叶えてあ
げたいと思っています。30年前には私のような考えは非常識
と言われましたが、時代が変わって責められなくなりました。
直葬も、やむをえずです。
nice!です。
以前より直送の需要は有ったと思いますが世間体等の問題で今まで声高に出来なかっただけだと思います。
今まで避けて通れなかったと諦めていたものが余裕がなくなり避けざる負えないと言う苦境から出て来た発想なのかもしれませんね。
の親については、骨と骨壺・骨袋を置く場所に私自身が困り、
最後の1親については、普通に費用を出して葬儀を致しました。
我々は 子供の少子化 家族だけで 密葬で終わりと 息子に言われてます
はい、もう そんな時代ですよね お葬式に お金かけられません・・・
火葬してくれるだけで 良しとしなければ そのまま放置はやめてーー
と 言っておこう
>もーもーさん
>2025年11月13日 07:59
>火葬してくれるだけで 良しとしなければ そのまま放置はやめてーー
そこまでは考えつきませんでした。
お身内がいらっしゃれば、さすがにそれはないと思いますよ。
NICEです
たいへん参考になりました
m(__)m
それぞれの家に見合ったお葬式でいいです。
お金がないと仏式の葬儀はできません・・・
僧侶にXXX信士、YYY信女の戒名を付けてもらうのに
50万円です (゚Д゚)!ですよね❗
私も簡単に...を望みます。
だって!誰も来ないでしょう。
>茶宛呑さん
>2025年11月13日 16:12
おっしゃるとおりですね。
昔は「家」単位の墓だったので、誰かが承継しましたが、今は家族単位なので、未婚や少子化などの影響は避けられないでしょうね。
私は家族にひっそりと送られて親戚知人には事後報告を
望んでいます。