「年賀状だけの関係」の同級生に見る、リタイア後の人が『つながり』を保つ奇妙で切ない方法
今日は、私の高校時代の同級生の話です。今年も含めて毎年正月、彼からの年賀状届くたびに、ある一点を超えた親密さを、強固に拒否しているかのような思いをさせられます。にもかかわらず、なぜ年賀状を毎年くれるのでしょうか。
交流は拒絶するのに年賀状だけは欠かさずによこす
彼は、高校の同級生でした。
卒業後もしばらく付き合いがあり、歳を取るとともに時間を作って会う機会は次第になくなっていったのですが、年賀状のやりとりだけは、ずっと続いていました。
宛名は手書きで、「お元気ですか」とか「また会いたいですね」という簡単な一言も添えられていました。
私は、彼の年賀状が来てから出していたので、彼の年賀状は返礼ではなく、彼の主体的な意思で来るものです。
伝え聞くところによると、彼は仕事はリタイアした独り身(結婚歴はなし)で、老いた父親がいます。
介護をしているかどうかは定かではありませんが。
実家は裕福で、経済的には心配ないようですが、「不整脈」を理由に、同級生の集まりなどにも出てきません。
以前から、電話番号で登録されたLINEに、「元気でやってる?」とメッセージを送っても、梨の礫でした。
そして近年、さらに変化が。
私が還暦を過ぎ、思うところあって学業復帰し、博士課程に進学したことを年賀状に書いた次の年から、彼からの年賀状には、「お元気ですか」の添え書きすら消えてしまいました。
それでも、自筆で宛名が書かれた年賀状はきています。
LINEは、「やあ」と送ると既読だけがつきますが、返しはありません。
続けて「年賀状どうもありがとう」と送ると、今度は既読すらつけません。
いや、そんなにやりとりしたくないんだったら、そもそも年賀状なんて送ってくるなよ。
……と、思いませんか。
この奇妙な態度を、メジャーAI(Gemini、ChatGTP、DeepSeek)に相談してみました。
高齢期特有のアンビバレント(両価的)な状態
率直に言って、かなり「距離の取り方がいびつな人」だと思います。
あなたが混乱するのは自然ですし、「変な奴」という感想も無理はありません。(ChatGTP)
LINEや添え書きで交流すると、どうしても「今の貴方(活動的で前に進んでいる)」と「今の自分(リタイアして停滞している)」の対比を突きつけられます。それが辛い。だから、「存在は確認したいが、中身(現状)には触れたくない」というねじれた態度になるのです。(Gemini)
このタイプの人は、他者との関係を
会話
交流
相互理解
としてではなく、
自分が誰かと“まだつながっているという証拠”
社会と完全には切れていないという痕跡
として保持しようとします。
少し冷たく聞こえるかもしれませんが、
彼はあなたと「関係を持ちたい」のではない
彼はあなたを利用して、「誰かとつながっている自分」を保ちたい
それだけです。(ChatGTP)
「奇妙」だが「珍しくはない」
これは重要な点ですが、彼のような行動を取る人物は、かなりの数、実在します。(ChatGTP)
特に、
定年・早期リタイア後
職業的役割を失ったあと
家族以外の社会的接点が希薄になった人
に多い行動様式です。
「会話」は
現在の自分を説明しなければならない
評価や質問が返ってくる
一方、年賀状は
年に一度
定型
返答義務が曖昧
ーー自分を守れる安全すぎるコミュニケーションなのです。(ChatGTP)
彼にとって、貴方は「輝ける過去の標本」であってほしいのです。(Gemini)
彼が大切にしているのは、現在ではなく、「高校時代の同級生である貴方」という思い出です。
彼が、現在の自分に漠然とした不全感がある場合、「今」ではなく「昔の自分」に思いを馳せ、「その当時つながっている貴方」を失いたくないという複雑な思いがあります。
だから、「今」のやりとりはしたくないが、年賀状は出したい、という「奇妙」な行為に表れているのかもしれません。(DeepSeek)
年賀状をやめないのは、「あなたという個人」が特別に懐かしいというよりは、「自分と世界をつなぐ、数少なくなった紐(ひも)の一本が切れること」 に対する寂しさや不安なのでしょう。
彼にとって、年賀状のリストは、自分の人生が確かに存在したことを証明する「社会的な生命線」なのかもしれません。(DeepSeek)
自己満足ばかりでなく本当に大切なことを見極める
なぜ、今回自分語りをしたかと言うと、「彼」ないしは「私」の立場や心境について、これを読まれている少なくない方に、「あるある」の話ではないかと思ったからです。
年賀状は、ひところに比べてだいぶ廃れましたが、それでも、いまだに百枚単位で出される方がおられます。
現実に、何百人も、リアルに付き合えるはずがないので、「年賀状だけの付き合い」がほとんどではないでしょうか。
紋切り型の「虚礼廃止」を掲げるつもりはありませんが、中身の伴わない年賀状の受け取り先には、私のように困惑する人もあり得るということは考慮していただきたいのです。
少なくとも、近況の添え書きすらできないような縁の薄くなった方とは、「年賀状じまい」を提案されることで、相手の方も負担から解放される気持ちになれるかもしれません。
高齢になって「やめる」ことは、「終活」につながり寂しいと思われますか。
でも、すでに縁が薄くなった時点で、それは終わっているのではないでしょうか。
そういう方との年賀状を終了するのは、「本当に大切なことを見極め、実質的な関係性を見直していく」という、積極的な意味合いを持つ動きとして考えていけばよいのではないかと思います。
添え書きもない年賀状、もらったり送ったりしていませんか。

あなたのまわりの「高齢さん」の本 高齢者の心理がわかる112のキーワード - 佐藤眞一
この記事へのコメント
でも「過去に生きる」人と「今に生きる人」は交われません。
年賀状じまいは、止む無しだと思います。
今年は10通ほど届き、その中に「返事は不要」と書かれたものがありました。
年賀状が途切れたり住所に届かなくなったら、もういなくなったのがわかるからという理由で続けているのだそうです。
一方通行の生存確認、なかなかユニークだと思いました^^;
でも、未だに年賀状を送って来る方はいます。
添え書きはありますが、判で押したように毎年同じ言葉。
選挙になると電話もかかってくるので、留守電で対応しています。
年賀状は止めました
実家は去年で仕舞ったようですが、電話攻勢が凄かったみたい
nice!です。
古希を迎えられると年賀状ご遠慮という通知が
相次ぎました😂
なんか今の自分に向き合っていない感じがして可愛そうですね。
でも確かにあるあるかも!特に定年した男性に多いかもね!
職場時代に、昇進に寄与があり、年金額の増加を、私にもたらした
と解せる方に対して出してますね。よせばいいのに、私は今年の
特定天体現象の予想や、昨年度の将棋史上の発見などを添えてます。
2026年は、喪中でしたので、喪中はがきを出し、内容は夏の、
地球が暑くなると、喜んで咲く花について、添えました。そうです
ね。迷惑な方はその年、時々によっては、都合で存在しそうですね。
お互い 年をとった 話ですが・・あの頃に戻れる瞬間で・・
あの時のご恩を 忘れないための あいさつ文かなーーと 思っております もう 年賀状じゃなくて 携帯で 終了の様ですね・・
便利な時代です
畑・ボランティア・お店、やっててよかったとつくづく。
みなさん、ほとんど年賀状終いの連絡が来て翌年からこなくなりました。「年賀状終い」って「死んだの?」と思われるのが嫌なので、出すのかな、と思いました。
わたしの年賀状のやめかたは、届いた年賀状にだけ返信。
その後3年くらいは、LINEとつながっている人にLINEで儀礼的ではなく、近況をしっかり返信。今はLINEで年賀状が届きます、儀礼的ではないのがうれしいです、それをきっかけに今年も5年ぶりくらいで、会う事ができました
以後年々枚数ヘリ今年は親族2枚・寺院・建設会社各1枚=4枚に
当選番号も数年見ていません(切ってもらっても使用しない)
私は年賀状、出しています。もう会わない人にも出しています。
年賀状だけのつながりの人もいるけど、それはそれで、お互いに近況報告ができていいかなと思います。
許容するか、縁を断つか、ボールはこちら。。。
友達.親戚関係はラインで挨拶。
「年賀状だけの関係」虚しいですね。
つながっていた「知人」は、退職したら
プツンと切れてしまいました。
趣味のダイビングやアマチュア無線の
「知人」のほうが、よっぽど親しいです。
年賀状じまいというのが最近きます。その時は出すのをやめています。年賀状だけのお付き合いも大事にしています。出せることはありがたいことですので。面倒などと思うことはありません。毎年の行事として楽しみに作っています。
年賀状の相手との個々の関係を今一度見つめ直して、今後の年賀状もどうするのか、〇×ではなくいろんな対処もあっていいのかなと思います。シニアだけでなく、現役の方にも通じるところがあるのではとも思いました。