高齢者は図書館通いをするな!?の虚実
作家の佐藤優さんが『プレジデントオンライン』で、「高齢者は安易に図書館に行くな」と語ったという刺激的な見出しが話題になっています。一見すると、「学ぶな」と読めますが、その真意を丁寧に読み解くとむしろ逆で、「どう学ぶか」を問う提言であることが見えてきます。
仕事をリタイアされたあと、
ボケ防止のために図書館に通う
大学の公開講座に参加する
という方は少なくありません。
これは本来、健全なことです。
ただし、佐藤さんは、こうした行動について、「目的のない学び方」に警鐘を鳴らしています。
佐藤さんが述べる2つの懸念
今日の情報源です。
寂しさ漂う老後が待ち受ける…佐藤優が「高齢者は安易に図書館に行くな」と話す切実な理由 https://t.co/xwcYRgh4Ge
— PRESIDENT Online / プレジデントオンライン (@Pre_Online) April 5, 2026
主張は大きく2点に整理できます。
1.目的がないと知識は定着しない
学びには「使い道」が必要です。
たとえば、
仕事で使う英語
試験合格のための勉強
といった明確な目的がある場合、知識は定着しやすい。
一方で、
なんとなく本を読む
時間が余っているから学ぶ
というスタイルでは、時間をかけた割に残らない。
特に高齢期は、記憶の定着にも工夫が必要になります。若い頃と同じやり方では通用しない、という現実もあります。
少し厳しい言い方をすれば、
「人生の残り時間が限られている中で、身につかない学びに時間を費やすのはもったいない」
という問題提起です。
2.「老害化」への懸念
もう一つの論点が、社会的な振る舞いです。
公開講座などの場で、
目的が曖昧なまま参加する
自己満足的な発言が増える
といったことが起こると、
本気で学ぼうとしている人の妨げになる可能性があります。
いわゆる「老害」という言葉は刺激的ですが、本質は「学びの場の質」の問題です。
「楽しさ」も立派な目的である
佐藤さんと少し意見が異なるように感じられるかもしれませんが、私は、「勉強すること自体が楽しい」というだけでも十分に価値のある動機だと思います。
むしろ、
好奇心
知的な喜び
こそが、長く続く学びの原動力でもあります。
問題は、そこで終わるか、その先に「次の一歩(目的)」があるか、ではないでしょうか。
ネトウヨにならないためにも本は読もう
高齢者の学ぶ「目的」って、何も「試験に受かる」とか「学位を獲得する」ことだけではないと思うのです。
昨今はネットの時代で、誰でもブログやSNSで意見を発表できるようになりました。
そんなときに、誰に対しても恥ずかしくない意見を発表するには、ネットの無責任な書き込みのコピペではなくて、ちゃんと一次資料から真面目に調べて、知識を獲得する必要があると思うのです。
余談ですが、ネトウヨの定義ってご存知ですか。
新井春巻先生が明確に定義しておる。 https://t.co/15g5NWvRme pic.twitter.com/o3OJkpniNC
— 高橋裕行 (@herobridge) April 4, 2026
このOGPによると、
1.本を読まない(ネットのショート動画やSNSのポストなど信憑性の担保されていない落書きを真に受ける)
2,自分の意見と合わないと、すぐ「左翼」のレッテルを貼る
3.反中国だがアメリカ従属には疑問をあまり抱かない←だから本当の保守ではない。
3.40~50代の男性が多い
とのことですが、わたしに言わせれば、勉強の足りないのは男女関係ないと思います。
ですから、私は、せっかく本を読むのなら、それでどうするのか、という「次の一歩」まで考えると、自分の身につきやすいですよ、ということを佐藤さんはいいたいのだろうと解釈しています。
たとえば、こんな一歩を加えるだけで学びは変わります。
・前述のように読んだ本の感想をブログに書いたりSNS投稿に活かしたりする
・さらに深堀りした関連書籍を読む
・誰かに説明してみる
この「一歩」によって、知識は「自分のもの」になります。
「目的」は後からでもいい
私はこう考えます。
最初は「なんとなく読む」でもいい
でも、どこかで「どう活かすか」を考える
この順番でも十分です。
佐藤さんの主張は、
「学ぶな」ではなく
「学びを人生に接続してこそ意味がある」
というメッセージとして受け取るべきでしょう。
繰り返しますが、本は読まないより読んだほうがいいのです。
ただし、
読んで終わるのか
次の一歩を自分の中に残すのか
その違いはとても大きいと思います。
みなさんは、図書館は行かれますか?

人生100年を楽しむために ワクワクリベンジ読書のすすめ - 玉木 和彦
この記事へのコメント
仏教でも、ただ経典を読むだけでは智慧にはならず、「聞・思・修」として生活に活かしてこそ功徳となると説かれます。
図書館に通うこと自体は善き縁ですが、そこに“次の一歩”を添えることで、学びは自分の血肉となり、他者への慈しみや正しい見解にもつながっていきます。
老いは衰えではなく、むしろ心を耕す好機。どう生かすかを静かに見つめる姿勢に、深い共感を覚えました。
SNSやブログなどで、ふと疑問に思う事については
図書館に行き、関連の本を読むことがたまにあります
何もしない方がもっとボケてしまうのでは?
もちろん仕事のような切実さには欠けるかもしれませんが
多少なりとも頭を使うこと自体が刺激になると思います。
図書館に行くのは本を借りるときだけですf^_^;)
学びにはならないかもしれませんが、推理小説を読んでいろいろと考察してみたり、旅行記を読んでまだ見ぬ国に思いを馳せたりするのも読書の楽しみのひとつですから、読まないよりは読ん方がいいに賛成です。
調べるのはパソコン開いちゃうし、SNSも斜め読みしたりして、一気にボケちゃいそうですね^^;
徒歩15分くらいのところにあるので、時間に余裕がある出来たら通いたい気もします
nice!です。
時々行きますね。
高齢者が本を読むのはボケ防止でも
意味はあると思っています。
何かに挑戦していたいですよね。
しますので、大へん頻繁に通います。昼寝の時間を削っている
ので、辛い事が多いですねえ。ブログの継続しか、通う「目的」
が無いのも、問題かもしれませんが。。。
図書館はほぼ行く事がないですね。
朝から高齢者が開くのを待っているのをよく見かけます。
子供の頃から読書が苦手で、結局、本を読む習慣が無いので、本を読んで知識豊富な方が羨ましい!と感じましたが〜多分年をとっても、読書する事なく終わりそうです!
子供の頃の読書は大切だと思っております!
全くその通りですね
普段は、ネットで購入、もしくは、電子書籍でしたが、最近図書館に出向くようになりました。
郷土史に興味を持ち始めて、本を探したのですが、ほぼ絶版。やむなく図書館、という流れ。目的はあまり意識したことがないのですが、後付けでも考えてみようかと思いました。
最近は、目の病気で資力が落ち、新聞も老眼鏡に
天眼鏡の助けを借りてようやく読める状態です
ブログのコメントは画面を大きくしてますが、いずれ限界になり
ブログを止める時期が近付いています
時に置き忘れ去られないように読んではいますが・・・
あって、調べ物は、図書室で本を借りてやっていました。
いまは、生成AIに聞けば、たいていの調べ物ができて
しまう時代ですから、企業の図書室は廃館になったこと
でしょう。
しかし、大学などは専門書や論文がありますから、図書室は
なくせないでしょう。
いつの間にか居眠りもしたりしています。
自戒せねば。(汗)
さとうさんの主張には、必ずしも同意はできません。
図書館は不便なので、買うのが多かったですね。
読んだ本は母に送り、母は去る間際まで本好きでした。
読書はある種の趣味かなと、内容もしっかり覚えてましたよ。
お恥ずかしい・・・
老眼になってから読書が激減しました・・・
というよりは読まなくなってしまいました😂
殆どの方が週刊誌や新聞を閲覧されているようで、時間潰しなのかな?と思ったりしています。
私的に家で漫然とテレビを見ているよりは、身体を動かして図書館へ行き情報を得ると言う行為は良い事だと思っています。
駅前図書館なので、バス待ちとかにも利用しますし、株をやっているので、毎月出る株の雑誌を無料で読むために行きます。
それから、どなたかのブログ記事で紹介された本に興味をもったら、家で予約しておきます。健康のため歩いて図書館にとりにいきます、お金かからない活用方法です。
読書に目標設定はしていません。知的好奇心のままに自由に読んでます。身に付けばいいし、身に付かなくても一向にに構わない。
ただ読むのが遅くなって、積読本が増えています