「灌仏会」で振り返るお釈迦様のエピソード
毎年4月8日は、「花まつり」「降誕会」「灌仏会」などと呼ばれる、お釈迦様の誕生日を祝うお祭りが全国寺院で行われます。ルンビニの花園で誕生した際に、天から甘露の雨が降ったという伝承に基づき、誕生仏に甘茶をかけてお祝いし、無病息災を願う風習があります。
灌仏会のことは毎年記事にしていますが、今年は4日、5日に行われたところが多いようで、今日の池上本門寺は静かでした。
本堂に、花御堂(はなみどう)があったので、仏像に甘茶をかけてきました。
花御堂というのは、お釈迦様の小さな仏像に甘茶をかける、花で飾られた小さな屋根付きの台です。
4月8日(旧2月21日)の水曜日。
— 暦生活 (@543life) April 7, 2026
今日は、お釈迦さまの誕生を祝う灌仏会(かんぶつえ)。
天界を模してたくさんの花々で御堂を飾ることから、「花祭り」の名で広く親しまれています。…
花御堂の由来は、お釈迦様が誕生した際に9匹の竜が天から甘露の雨(甘い水)を降らせて産湯を使ったという言い伝えに基づいています。
ということで、今日はお釈迦様にまつわるエピソードをいくつかご紹介します。
仏教の始まり
約2500年前のインドでは、バラモン教というカースト制度(身分制度)に基づく宗教が信仰されており、運命は生まれつき決まっていて、高い位の血筋の人しか神様にお願いができないとされていました。
これに対して、ガウタマ・シッダールタ(お釈迦様)は、「あらゆる生き物は生まれながら決まっていない」「血筋なんかで価値は決まっていない」という反カーストの新しい考え方を提示しました。
特定の神(梵天)が身分に応じて人を幸せにするのではなく、「我々自身の行いが、我々を幸せにする」というのが仏教の教えです。
四門出遊
お釈迦様は、王子の跡継ぎとして生まれ、苦しみや嫌なものを一切見ないよう、美しいものや楽しいものだけがあるお城の中で「箱入り息子」として育てられました。
しかし青年になり、城の東西南北にある四つの門から外の世界へ出かけた際、「老人」(老い)、「病人」(病気)、「死人(お葬式の行列)」(死)と出会ってしまいます。
そして、4つ目の門では、ボロボロの服を着て砂埃をかぶった一人の修行者に出会います。その人はみすぼらしい姿ながらも目は生き生きと輝いており、御者から「あの人は老病死の苦しみを消すために、自分がこの世で執着しているものを全部捨てたのです」と教えられます。
これだと思ったお釈迦様は、国も妻子も捨て、29歳で自らも出家(俗世を捨てること)を果したといわれています。
こういう話は、「作り話だろう」と思いますか。
後にインド地域を収めたアショーカ王という人が、戦争で大量殺戮した自己批判から在家信者になった際、ネパールのルンビニに立てられた石柱に、「ここはお釈迦様が生まれた場所だから、税金を六分の一まけてあげる」との言葉を記すなど、考古学的にお釈迦様の存在や修行や教えの内容などは大筋で証明されています。
お経には、たしかに後世の人が「盛っている」記述が見受けられます。が、日本の神話の神武天皇のような、存在そのものが創作というのとは全く次元が違う話です。
4月5日のコメントに、「神話は信じるべき。徳川家康も清和源氏も似たようなものだ」という暴論もありましたが、お釈迦様も徳川家康らも存在しているのは事実で、客観的に存在していない神話とは根本的な部分が異なります。
自分の人生は自分で進めるものである
日本に伝わった仏教は大乗仏教といいますが、お釈迦様の直伝とされた上座部仏教とは内容が大きく異なります。
その典型は、『大般涅槃経』という、お釈迦様の最期を描いたお経です。
大乗仏教版では、お釈迦様は死んだふりをして、今も隠れて私たちを見守っていることになっています。
上座部仏教版では、お釈迦様は80歳で亡くなり、弟子が見守る中で火葬された「普通の人」として描かれています。
亡くなる前に、お付きの弟子の阿難(アーナンダ)が、仏陀が亡くなったら私たちはどうすればいいんですかと嘆いていると、お釈迦様は、「人はみないずれ死ぬんだ。あてにするな。自分自身と仏教の教えだけを頼りに生きてイケ」と言ったとする話(自灯明・法灯明の教え)は有名です。
宗教というと、神様を信仰して、その果報をあてにするイメージがありますが、仏教は全く異なります。
真の拠りどころは(神様を含めた)他者ではなく、自分自身の理解と気づきにあるとしています。
結論として、仏教とは、
人間の価値は生まれで変わるものではない
自分の人生は自分自身が進めるものである
という教えです。まさに人間観としては普遍的な至言です。
お釈迦様は、今から2500年も前にここに思い至ったのです。
みなさんは、自分軸で生きておられますか。

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この記事へのコメント
お釈迦様が示された「生まれではなく行いが人をつくる」という教えは、2500年を経てもなお揺らがない灯火だと感じます。
四門出遊の物語も、私たちが日々の中で“見たくないもの”から目をそらしがちな姿を映す鏡のようで、読むたびに背筋が伸びます。
「頼るべきものは自分の気づきと歩みだけ」この言葉は、現代の不安の多い社会だからこそ、より深く響きます。
もう40年も前になりますが子供たちはお寺が経営する
幼稚園でした。
8日は花祭りで賑やかでした😂
いけませんね。
神仏は、誰も救いません。
心の中にあるものだから、つまるところ、
自分を救うのは自分です。
nice!です。
とか称して、何か高価で買わされたりするようですが。私は、
貧乏だから、そうするしか無いのです。
なるべく自分軸で生きたいとは思いますが、ふらつきますね。
つい、周りの考えに振り回される自分がいます。
敬う気持ちは大切ですよね
いい考えですね
自分の人生は自分自身で決めるものである
この言葉を改めて心に止めおきます。