政治家と「方便」の虚実ーその言葉でごまかさないで
昨今、政界では学歴・経歴詐称疑惑が相次いで報じられています。東京都の小池百合子知事の「カイロ大学」問題に始まり、田久保真希前伊東市長の「東洋大卒業」騒動、高市早苗首相の「コングレッショナル・フェロー(連邦議会立法調査官)」をめぐる経歴の曖昧さ。
高市早苗総理の肩書については、現在は公式プロフィールでもより正確とされる「Congressional Fellow」に修正されており、公式の「立法調査官(Legislative Investigator / Researcher)」という正規職でないことは事実上ご自身が認めたと思える形になっています。
リハックに呼ばれて電話出演したけど「米連邦議会立法調査官」と言う肩書を高市早苗氏が名乗っていたので「高市早苗氏は経歴詐称した嘘つき」は確定だと認識。
— ひろゆき (@hirox246) July 1, 2026
最近の高市さんは、米連邦議会立法調査官は真実だと主張してるの?
名誉棄損になるなら、訴訟でどうぞ。 https://t.co/g1cvqqEnVC
ところが、公人の中の公人である高市総理の経歴に「ほころび」が見えているにもかかわらず、なおも「信じたい」という声も根強いですね。
擁護論の中で、しばしば耳にするのが次のような釈明です。
「政治家なんて誰でも、大なり小なりスキャンダルや間違いはあるものだ。政策さえ良ければ、多少のことは方便として大目に見てもいいじゃないか。」
政策の是非はひとまず置くとして、はっきりさせておきたいのは、詐称は方便ではなく、ただの「ウソ」であることです。
騙す意図があろうがなかろうが、「立法調査官」を名乗ること自体に問題があるのです。
法案を通すための嘘や隠し事も方便といえるのか
経歴・学歴だけが問題ではありません。
たとえば、「選択的夫婦別姓」をめぐって、立憲民主党の辻元清美議員は、「国際基準である選択的夫婦別姓」と発信していますが、実はそのような「国際基準」など公式にはどこにも存在しません。
つまり、これは事実に反する虚偽の主張です。
嘘で国民を動かそうとするのも「方便」と言えるのでしょうか。
オリパラ参加国(206カ国)の中で「法律で婚姻後の氏を同一にしなければならないと規定しているのは日本だけ」と答弁した丸川大臣。オリパラ兼男女共同参画大臣として、国際基準である「選択的夫婦別姓」を実現することこそが本来のお仕事では?地方議会に文書送って、圧力かけるなんて絶対アカン。 pic.twitter.com/Kae0jZLDvY
— 辻元清美 (@tsujimotokiyomi) March 5, 2021
また、社民党の福島みずほ議員は、そもそも「選択的」ではなく、婚姻は強制的に別姓であるべきという「絶対的夫婦別姓」が本音であることを自著で述べています(『結婚と家族――新しい関係に向けて』岩波書店)。
彼女にとっては、「選択的別姓」の実現は、あくまで最終目的への「一里塚」だということです。
すなわち「方便」にすぎないのでしょう。
しかし、本来の目的を隠して眼前の主張を進めるのは、フェアな姿勢とは言えません。
私が、家制度否定派なのに、この人たちと同じ旗を掲げる気になれない(両手を上げて選択的夫婦別姓に賛成できない)のは、ウソや隠し事をする人に共鳴はできない、信用すべきではないと思う気持ちもあるからです。
騙す奴の批判に、右も左もないのです。
「方便」の本来の意味
「方便(ほうべん)」とは、ある目的を達成するための「巧みな手段」や「一時的な方策」を指す仏教用語です。
仏教の本来の狙いは、人々を真実の教えへ導くための、思いやりと知恵を込めた仮の手段という意味を持ちます。
しかし、政治家の詐称や言い訳の説明に、そうした「思いやり」や「知恵」を感じることはありません。
隠し、誤魔化し、煙に巻く。
それは国民を愚弄する行為にほかなりません。
仏教における「方便」の重みと教訓
仏教では、『法華経』というお経の「寿量品」において、お釈迦様が「人々を救うためなら、方便としてウソを言っても構わない」と言ったことになっています。
この考え方は、一見寛容に映りますが、歴史的に見れば危うさもはらんでいました。
戦時中、多くの仏教宗派は、「相手を救うためならルールを変えてもよい」という方便の論理を都合よく解釈し、戦時教学といって、国家権力や軍部の要請におもねる形で教義を歪曲し、戦争に協力しました。
そこで戦後、たとえば浄土真宗はその反省から、方便が暴走しないよう現代の私たちはどうブレーキをかけるべきかという議論を重ね、公式サイトでは公人の靖国参拝を批判するメッセージを掲げるに至っています。
閣僚の靖国神社参拝に対する声明|真宗教団連合 https://t.co/VZaM2BVcCY
— 梅じゃ子 (@sorasodawahaha) July 1, 2026
また、かつての一向一揆のように、権力者からの弾圧に対して、門徒たちが「信仰と共同体を守るため」に武力を取ったケースについては、今もなお評価が分かれ議論が重ねられています。
戒律上「暴力」は許されないが、「自衛・利他のための方便」として許容されるのではないか。
これこそが、「方便」についての深い議論ではないでしょうか。
一方、政治家の「方便」とされる言い訳のなんと浅はかで、自己中心的であることか。
古賀千景議員の発言をめぐる「方便」のねじれ
立憲・古賀議員「経済的に厳しい子が自衛隊に行く。」発言の背景。 https://t.co/ZXNJPKeVdc @YouTubeより
— 梅じゃ子 (@sorasodawahaha) July 1, 2026
先ごろ、古賀千景議員が「自衛隊は貧乏人が行くところ」と発言したことについて、古舘伊知郎氏は次のように擁護しました。
「切り取られたところだけで騒ぐな。彼女は平和教育に取り組んできた人物だ。全体を見れば、あの発言も思想の一部として理解できる。」
これもまた、「平和教育のための方便」というロジックです。
しかし、「自衛隊員=貧乏人」という発言が、どうしたって「平和教育」の文脈に結びつかないでしょう。
むしろ、それはネガティブ・キャンペーンとして機能し、自衛隊志願者の減少→憲法改正による自衛隊明記→強制的な「徴兵制」への道筋すら連想させます。
方便の皮をかぶったこじつけは、しばしば本質を見えにくくする良い例です。
私たちは「大目に見る」をやめられるか
私は、政治家の「方便」と称する言動から、好ましい結果が生まれた例を寡聞にして存じません。
だからこそ、「この人は日本を良くしようとしているのだから、細かいことは目をつぶろう」という擁護論もまた、危ういと思っています。
たとえ自分が支持する政治家であっても、おかしな点があれば「それは間違いだ」「そのやり方はおかしい」と指摘する。
その積み重ねが、政治家の質を変え、政治全体の透明性を高めるのではないでしょうか。
みなさんは、たとえそれがご贔屓の政党や政治家だったとしても、嘘は嘘と見抜く眼と、勇気と見識の声を、持ち続けていますか。

嘘つき人間学: 嘘も方便、バカはどっちだ (ワニ文庫 A- 21) - 増原 良彦
この記事へのコメント
戦時中の教学の歪みや、一向一揆をめぐる評価の揺らぎなど、記事が触れている歴史的事例は、仏教者にとって決して他人事ではありません。私たち自身が「方便」という言葉の危険性と可能性の両方を知っているからこそ、政治家がそれを免罪符のように使う姿には、どうしても違和感を覚えます。
政治家がどの立場であれ、誤りを誤りとして指摘することは、対立ではなく「関係性の健全化」につながるはずです。記事の最後の問いは、私たち一人ひとりに向けられた「智慧を働かせる勇気を持てるか」という呼びかけのように感じました。
自分のご贔屓は絶対に嘘も間違いもないという。
それはその人を信用するからじゃなくて、自分のご贔屓が間違ってたら自分を否定されるような気分になるのだと思う。
「人間性が信用できない」
耳障りのいいことを言っていても、隠された意図があるのではとか
胡散臭いとか、一言でいうと誠実ではないと思わせるものがあるのでしょうね。
これも嘘をつかれてるのかな~って思ったりします。
自身を大きく見せたいと言う心理も有るのでしょうが、今のご時世直ぐにバレてしまうのにバレないとでも思っているのかな?
政治家はなにかと断定的でない言葉で煙に巻くのが得意ですから、方便もその中の一手段なのでしょうね。
nice!です☆
くれる人たちの集団だと思っていましたが
年々失望しています。
最初政治家になろうとした動機は世の中を
良くしたい、人の為に働きたいだったのでは?
実証困難です。
それはその通りです。
学歴や資格など、調べればスグにわかるウソをつきたがる理由がわかりません。
たとえ支持している政治家や尊敬している経営者であっても、誤りは誤りとして声をあげる、その環境がないとどんどんおかしな方向へねじ曲がっていく気がします。
卒業した最終学歴はどんな意味があるのか分かりません。