仏事の所作、本当の話
お盆や葬儀、法事などの際、お経を聞きながら数珠を持って拝んだり、焼香したり線香を上げたりといった参加者の所作があります。それは仏教宗派によって違うのですが、Instagramで葬儀会社が上げているその説明動画が不正確な部分があったので、ツッコミを入れてみます。
先日、「お盆」について、仏教から見た「本当の話」を記事にしました。
お盆の由来は『仏説盂蘭盆経』と神道の融合、本当の話 https://t.co/YBOQUiTzws #盂蘭盆会 #お盆 #お盆の花
— 無明子 (@shirimochigome) July 11, 2026
そこでは、「お盆」の由来について書きましたが、今日は具体的な所作について書いてみます。
お盆だけでなく、葬儀や法事も含めて、仏事には特有の所作があります。
それは、宗派によって異なります。
そこを間違えると、喪主や亡くなった人に対して失礼にあたります。
にもかかわらず、葬儀会社がInstagramにアップしていた「葬儀の所作」の動画は、ツッコミどころがあったので、今回「所作の本当の話」をまとめてみました。
「数珠」ではなく「お念珠」(浄土真宗)
お盆では、お墓参りや法要(棚経など)で、珠の連なりを手にかけて合掌します。
動画では、「数珠」と呼んでいましたが、浄土真宗は一般に「お念珠」という呼び方をします。
理由は、他宗派の「煩悩の数を数える道具」という意味ではなく、「阿弥陀仏とのご縁をいただく法具」という、全く異なった考え方があるためです。
線香の扱い方
線香については、立て方と本数が宗派によって違います。
ここがいちばんむずかしいところかもしれませんが、動画は説明が足りていません。
浄土真宗だけが、線香を寝せます。
これは、「煙で身を清めるためではない」「火種が長く続く必要がない」など考え方に基づいているといわれます。
三本立てる宗派では、
例えば
仏・法・僧(三宝)
過去・現在・未来
などを表すと説明されることがあります。
ただし、実際には、「仏壇が小さい」「香炉が小さい」などの理由から、天台宗や真言宗の家庭でも普段は一本だけ立てている例は珍しくありません。
つまり、
寺院の正式な作法と一般家庭の日常では違うことがあります。
ちなみに、浄土真宗の葬式は、手水(ちょうず)で身を清めることも、葬儀後に塩をまくこともしません。
神道では、死は「穢れ」と考えられるため、手水で清めることがあります。
しかし浄土真宗では、
人は阿弥陀仏の本願によって救われる。
死そのものを穢れとは考えない。
という教えなので、清めないのです。
他の宗派が、手水と塩を採用しているのは、神仏習合による、神道の影響を受けているのだろうと思います。
線香の火の消し方
動画より
動画では、線香に火をつけた際、残っている炎を手であおいで消していますが、それも避けたほうが良い所作ですね。
なぜなら、万が一、煙とともに火も散って、燃え移らないとも限りません。
最悪なのは、口で吹き消すことです。
「人間の不浄なクサい息を仏様に吹きかける」ことになるからです。
指で摘んで消す人もいますが、私なら、線香を上から下に軽くスッと下ろします。
それで炎は消えるし、煙の行き先も真っ直ぐなままです。
ただ、これは経験も必要なことかもしれないので、ご自宅に仏壇のある方は、日頃から線香を上げる習慣をつけられたらいいのではないかと思います。
訃報の際のコメントについて
お身内が亡くなったという「訃報」が、たまにSNSや個人ブログの記事に投ぜられます。
その際のコメントにも注意が必要です。
多くは、「ご冥福をお祈りいたします」「お悔やみ申し上げます」と書かれるのですが、浄土真宗の人に対してはNGです。
浄土真宗は、悪人もお浄土に行って成仏するので、「死後は幸せになってください」「冥土(死後の世界)をさまよわないでください」などというのは、失礼千万な言い方なんです。
「安らかにお眠りください」とか「天国で安らかに」もだめです。
無難なところで、「ご愁傷(しゅうしょう)様です」がいいでしょう。
私は、浄土真宗、もしくは宗派がわからないときは、「生前のご遺徳お偲び申し上げます」で統一しています。
逆に、のべつまくなしに「南無阿弥陀仏」と書くのもだめです。
「南無阿弥陀仏」はお悔やみの言葉ではないからです。
「南無阿弥陀仏」というのは、阿弥陀仏を信じることで、阿弥陀仏から聞かせていただく(自分が唱えても浄土真宗ではそのように表現します)名号ですから、信じてもいないのに、ただ口先で唱えてもそこには何の意味もないのです。
今はネットで、何教の何宗ならどういう振る舞いがいいか、というのはすぐに調べられますが、できれば葬儀会社よりも、住職の動画やサイト、もしくは事前に直接確認された方が、当日失礼がなくて良いと思います。
そういうところで、常識がある人かどうかを判断されてしまうこともありますから。
ということで、みなさんは、お盆や法事などで檀家や信徒になっている宗派の所作は理解されていますか。

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この記事へのコメント
真似するようにしています。
その人が間違えていたらアウトですが。
家は浄土真宗なので、寝かせるんですね。
後言葉掛け、練習したいと思います。
また、訃報への言葉遣いについての説明は、多くの人が知らないまま使ってしまう部分なので、とても実用的でした。「ご冥福をお祈りします」がNGになる理由を、浄土真宗の教義から説明されていて、単なるマナーではなく“思想の違い”として理解できるのが良かったです。
本来は、寝かせるのですね^^;
浄土真宗だったのかも
nice!です☆
葬儀は故人のためであって喪主や葬儀社のためではないし。
全く理解していませんでした。
葬儀に際してはとりあえず皆さんのされることを
見て真似していました。
恥ずかしですね。
宗派によっては「お悔やみ申し上げます」も
失礼になるのですね。
いた宗派が存在しました。
寺院の言うまま沢山のお金を使い以後も節目節目に多額を
最近の寺院離れで目が覚めました、私が逝く時は最低で
後に子供たちが私がしたようなことをしないで済むように
ひっそり~足跡も起こさないような旅立ちがしたいですね。
お線香の本数や置き方は知らなかったです。
つい、その場でしきたり通りに。
宗派によっては作法が色々なのですね。
pnという方のコメントは、マナーの細かさに辟易して「本質(弔う気持ち)を見失うな」と言いたかったのだとは思いますが、「じゃあ、故人がそのしきたりを望んでいたらどうするの?」という視点がすっぽり抜けてしまっていますね。
記事のテーマである「思想の違いを理解して敬意を払う」という点に立ち返ると、やはり自分の気持ちファーストで形式を全否定してしまうのは、少し浅い見方に見えてしまいます。
「(細かいことは気にせず)合掌だけでいい」と一言で片付けてしまうのは、筆者が提示した「思想の違いを理解して敬意を払う」というテーマの面白さや重要性を、少しスルーしてしまっている印象を与えます。
今はネットで調べれば誰でもわかる時代です。
「覚えきれないから気持ちだけでいい」「葬儀社のためのマナーだ」と言い訳をして、知ろうとしないことを開き直る態度は、「あなたたちの思想や大切な儀式に、自分の時間や労力を割く価値はない」というメッセージを暗に発していることと同じであり、その態度で列席することは、遺族や故人への軽視(あるいは冒涜)と受け取られるものです。
文化や宗教のしきたりは、単なる「ルール」ではなく、その人たちが何世代にもわたって大切にしてきた「死生観や祈りの形」そのものです。
「完璧にこなす」ことまでは難しくても、事前に「どのような式なのか」を調べ、相手の文化に合わせようと努力する姿勢こそが最低限の礼儀であり、大人のマナーと言えるのではないでしょうか。
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ま、そういう場合には、そもそも式自体の出席を見合わせられたらよろしいのではないかと私は思います、