「田久保問題」に「小池をやれ」は Whataboutism(ワタバウティズム)
静岡県伊東市の前市長・田久保真紀被告のパソコンから、東洋大学卒業証書の偽造データが復元されたとの報道が話題になっています。田久保問題が報じられるたびに、「小池(百合子東京都知事の詐称疑惑)をやれ」という声が上がりますが、それはWhataboutism(ワタバウティズム)といわれる論法です。
田久保被告は、大学を除籍されていたのに学歴を偽り、市議会議長らに偽造証書を示したとして有印私文書偽造罪などで在宅起訴されており、PCデータは検察側の重要証拠となり得ます。
静岡 田久保前市長側が無罪主張へ「卒業証書は第三者が作成」https://t.co/mzCXVUkJoQ #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) August 24, 2026
こうした報道に対して、必ずセットになっているのが、小池都知事の疑惑はやらないのはおかしい、という趣旨のポストです。
・田久保前市長の「偽造卒業証書データ」報道は、「東洋大学はFラン大学だからどうでもいいこと」と断じる
・そのうえで「マスコミは小池都知事の経歴詐称疑惑を追及しろ」と要求する
・「弱い相手ばかり叩く日本のメディアはおかしい」と、一般化する
たとえば、こういうポストね。
田久保前市長のPCから偽造された卒業証書データとか、本当にどうでもいいニュースです…。マスコミはそんなこと報道するヒマがあるなら、小池都知事の経歴詐称疑惑を追及して下さい!弱い相手ばかりに正義を振りかざす日本のメディアにはあきれ果てます。 https://t.co/vjaQnb9uhP
— ミド建築・都市観測所 (@Mid_observatory) August 25, 2026
しかし、東大詐称なら深刻だが、東洋大詐称なんて大したことはない、というのは、日本人特有のブランド病!です。
そして、小池百合子知事は、真実がどうあれ、カイロ大学も、エジプト在大使館も卒業を証明しています。
マスコミに、その先いったい何を追及させるんですか?
田久保被告の事件は、「具体的な証拠」に基づく刑事事件なんですよ。
当時の小池さんの同居人が「首席なわけがない」と証言してるというなら、その同居人を自分で取材して、担ぎ上げて、告発したらいいだけであり、それもせず、「田久保問題」の目眩ましに使ったり、マスコミ批判に使ったりするのは、Whataboutism(ワタバウティズム)といわれる手法です。
Whataboutism(ワタバウティズム)とは何か
Whataboutism(ワタバウティズム)は、論点から目を背け、本質的な議論を壊してしまう論法です。
1.本件の是非を論じず、別件を持ち出す
田久保前市長の件についての評価や事実関係には触れず、「それより小池だろ」という“比較による優先順位のすり替え”が起きています。
これは「かわす議論」の典型的なパターンで、Tu quoque(お前だって論法)ともいわれています。
2.「メディアは弱い者しか叩かない」という一般化
元の話題から離れ、メディア全体の姿勢批判に飛躍しています。
これも論点を広げて本件から注意をそらす効果があります。
3.小池都知事の経歴問題は“未解決の大きな疑惑”として提示される
疑惑の実態が曖昧なまま「もっと大きな問題」として持ち出されている。
この曖昧さが、論点そらしの印象を強めます。
もちろん、「小池都知事の経歴問題も報道すべきだ」という主張自体は一つの意見として成立します。
しかし、それは田久保問題を軽視する理由にはならないし、両者は独立した問題です。
この手のポストの“真意”はどこにあるのか
SNSに限らず、こうした論法は日常会話でもしばしば見られます。
Copilotに尋ねたところ、その背景にはいくつかのパターンがあるとまとめてくれました。
1.自分の支持する側の不利な話題から注意をそらしたい(田久保被告擁護)
政治的コミュニティではよくある行動で、「相手側の方がもっと悪い」という構図を作ることで心理的防御をする。
今回の場合、これはおもに野党支持者に見られます。
ポジショントークばかりで、悪いことは悪いと言えないから、いつまでも自民党に勝てないのです。
2.メディア不信を軸にした“共感の獲得”
「メディアは弱い者しか叩かない」という語りは、政治的立場を問わず一定の共感を得やすいようです。
そのため、別件を持ち出すことで“仲間意識”を作る効果があります。
これは、おもにネトウヨに見られる傾向です。
3.たんなる“話題の優先順位”の主張であり、論理的整合性は重視していない
「こっちの方が大事だろ」という価値判断の提示であり、論理的な議論というより感情的な問題提起。
知的整理の苦手な人に多い。
基本は話の趣旨に合わせること
松田聖子さんが中央大学を卒業。予想通り中傷が後を絶たない。中央大学や、通信課程の卒業生・在校生を侮辱していることになるのに。ひとさまの自己実現にケチを付けても何も生み出しません。#松田聖子 #松田聖子卒業 #中央大法学部通信課程は超ハード #中央大学 #嫉妬 #中傷 https://t.co/cTgcZMgWim pic.twitter.com/k3e6bbyGdZ
— 無明子 (@shirimochigome) February 15, 2025
私が以前、松田聖子さんの中央大学卒業について記事を書いた時、「そんなことより小池さんの学歴詐称問題のほうが大事」というコメントが有りました。
でも、松田聖子さんの話と小池都知事の疑惑って、それこそ何の接点も影響もない全然別の話ですよね。
つまり、記事に対する反論にも異論にもなっていないのです。
娘さんを亡くされた松田聖子さんが、それでも還暦を挟んで所定の年限で大学を卒業するというのは想像を絶する大変さでありますが、そのコメント者は松田さんと同年代と思われる女性のため、松田さんに対するジェラシーもあって向き合うことができなかったのかな、と私は思いました。
コメントに対する考え方も様々で、そのような「噛み合わないコメント」が好きな方もおられるかもしれませんが、私としては、松田聖子さんの話は創作ではなく一人の人間の生きざまを見る話ですから、話をそらさないでほしかったな、と残念に思いました。
リアルの会話にしろ、SNSのリプライにしろ、ブログのコメントにしろ、やはりその趣旨に沿った意見が基本ではないかと思いますが、「それよりも……」論法、使われていませんか。

「田久保市長」とは何だったのか? 伊東市の騒動から日本の地方・民主主義の再生を考える - 北野慶
この記事へのコメント
あるいはちょっとひねった返しができたと内心満足しているのかもしれないので、適当に流しておいたほうがいいかもしれません。
時々、自信がないので…
でも、話をそらされてしまうのは困りますよね。
旧SSブログのような機能です。
嘘のような話ですが、本当です。
みなさんにお使いいただいて
レビューをいただき、
改善するところは改善しようと思います。
ぜひ使って見てください。
それに気づいてないのか?わざと言ってるのか?と、その人の人間性を疑ってしまいますよね。
自分は気を付けたいと思っています。
nice!です☆
能力自体が減衰するようですね。
最近はそういう傾向がありますね
論点のすり替えは政治の世界でも企業でもよくある気がします。
SNSでは自分の得意な話に誘導する「それよりも」、閲覧稼ぐために煽って感情論へ持ちこむ展開は多いですね。乗せられないように気を付けなければと思います。
地方の議会などには今でもよくみられます。
論点をそらすのは、不都合があるからですね。
松田聖子さんのキャリアからすれば、大学卒などは世間に誇るべきにも値せず、
ご自身が学びたかったからに他ならないと推察いたします。
神経の図太い市長さんでしたね 😱
本当にそう思います。
こんなことに全国放送で延々と時間をとるよりも、もっと重要なことがあるんじゃないの?という印象は持ちましたね。当事者、担当者はきちんとする必要があるでしょうけど。
ほかの人の学歴のこととかではなく。
学歴のことにこだわり過ぎでは?
学歴って、その後の経験や実力や成果は保証しないのに。
ワタバウティズムという言葉は知りませんでした。話をそらす、話がずれる。なるほど? 論法なのですね。
いけないと思いますが(恥ずかしくないのかな?)