障害者は、大衆が感動したいときだけ利用される存在なのか?

障害者は、大衆が感動したいときだけ利用される存在なのか?

24時間テレビ」への批判が毎年大きくなっています。SNSでも、批判のポストが増える一方、賛成のポストは組織的に行われている疑いもあります。それでも、テレビを信じやすい方は、まだ感動されているかもしれません。ただ、障害者をコンテンツとして消費することについて、もうそろそろ立ち止まって考えないと、SDGsなんてブラックジョークになってしまいますよ。

もうこれは、このブログで5~6回書いていることなんですが、「24時間テレビ」で障害者を出演させ感動させることを喜んでいる障害者は、例外といっていいほどわずかです



なぜいけないのかが、いまだにわからない視聴者もおられるようなので、これも5~6回目になりますが、書きます。


まず、障害者を感動コンテンツで消費しているというのが、障害者を見下している証拠です。

ダウン症を「天使」と言って持ち上げ、でも本心は「ダウン症なんかを天使と言える私って素敵」という本音があるのではないでしょうか。

ダウン症だろうが、〇〇障害だろうが、みんな同じ人間です。

いい人もいれば悪い人もいる。優しい人も意地悪な人もいます。

それ以上でもそれ以下でもありません。当たり前の話です。みんな良くも悪くも優劣なしに人格を持っているのです。

なのに、どうして人が人に感動できるのでしょう。

もし、健常者が頑張って自己実現しても、なんだかんだと嫉妬の陰口で、心をざわつかせて足を引っ張るくせにさ。

要するに「五体満足じゃないくせに頑張っているじやないか」という見下した視線があるからではないでしょうか。つまり、自分の立ち位置は「上」にあって、「下」からの頑張りを余裕をもって見守っていると……。

不自由のある人が頑張っているのは、大衆に感動してもらうためではなく、自分が生きるためです。

見世物じゃないんです。

大衆は、社会的に求められる理解と支援だけしていればいいのであり、「障害者が生活している」というだけで感動する必要はあるのでしょうか。

普段は世の中の邪魔者扱いのくせに、「24時間テレビ」のときだけ出演させる。自分たちが感動したい道具として引っ張り出すというのは、あまりにも身勝手ではないでしょうか。

「24時間テレビ」には呼ばれない障害者がいる




「24時間テレビ」に出てくる障害者は、おおむね重度ではない身体障害者か、他害(他者に暴力を振るう)をしないダウン症だけです。

要するに、「見てわかる」「扱いやすい」ほんの一部分の人だけ。

障害者手帳は、身体精神療育と3册あります。

そして、「精神」の中には、ダウン症高次脳機能障害発達障害などが、「療育」には知的障害が含まれます。

すぐに怒り出すことがある高次脳機能障害や、「不規則」な言動をする発達障害、複数の手帳を持った寝たきりの重度障害などは絶対に出てきません。


おそらくは、「精神」の手帳持ちが最も敬遠されます。

ちなみに、私の長男は火災で脳死手前のJCS300になり、0歳児の知能に転落。おまけに全く動けない遷延性意識障害(植物人間)からリハビリを行い、高校を出るところまで回復した「24時間テレビ」好みのプロフィールですが、「精神(高次脳機能障害)」の手帳を持っているので、間違っても出演交渉が来ることはないでしょう。ま、出すつもりもないし。

感動したかったらともに生活するといいですよ



過去の同様の記事に対しては、「私は障害者を知りたいだけなのだ」「自分が感動したのは純粋な気持ちであり、決して見下したわけではない」というコメントがだいぶありました。

もとより、その人の内心はその人の自由であり、何に感動しようが、障害者をどう思おうが自由です。それを啓蒙しようとは思っていません。

ただ、TVショーで真実を知ろうなんてのは、添加物まみれの偽食品で健康になったつもりのようなものだと思います

そんなに「感動」が大事なら、障害児を養子にとったり、里親になったりしてあげたらいいと思います。

毎日、その「感動」を体験できます。

支援学校の保護者の離婚率は、私から見ても普通学校より高めのように思います。

子の療育を巡って信頼関係が壊れたのか、親がそもそも発達障害で、それ以前からいろいろな齟齬が積み重なっていたのかはわかりません。

ただ、離婚したお母さんは働かなければならなくて、実家の年老いた親に子の面倒を見てもらっているケースも少なくありません。

そういう人たちを助けてあげたらいいのではないでしょうか。

週に1~2日とか、一定時間でもいいから。

いや、冗談ではなく、一緒に暮らして身近で見れば、「天使」ではなく「普通の子」であり、でもその生身の人間の成長のリアリティは、健常(定型)だろうがそうでなかろうが変わることはなく、お金では換えない生きがいになることがわかると思います。

それができないなら、せめて支援学校を登下校する生徒を、遠くからこっそり見て、TVショーを通してではなく、リアルな障害者を確認したらいいと思います。

思春期ですからカップルもいます。私は男子校でモテ期もなかったから、羨ましいと思っていつも見ています。

一方、サポートの人を伴わないと歩行も難しい人もいます。でも健常者だって、卒中になればそうなるんですよ。

結論としては、この番組ほど「メディアリテラシー」を考えさせるものはないと思いました。

そして個人的には、障害者に対する見方や評価で、その人の人格の一端がわかる、というのが、子どもの中途障害を経験して知ったことです。

「24時間テレビ」は必要でしょうか。

植物人間が歩いた!話した!ごはんも食べた!遷延性意識障害からの生還-リハビリと学習の記録1: ~遷延性意識障害から転学まで~ (市井のeブックレット) - みお なおみ
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この記事へのコメント

2026年08月31日 22:30
24時間テレビはもちろんなんですが、障害者を主人公にした映画も苦手です。
最近だと『並行と垂直』とか。最後に感動が用意されているのが透けて見える感じ。
まあ観ないであれこれ言うのはルール違反なんですが、お金払ってまで観る気がしません。
2026年08月31日 22:30
ハンデのある人を見て、感動している自分は素敵って、どんだけ傲慢なんですか。
2026年08月31日 22:50
確かにそうですね。
母も生まれた時から耳が聞こえず、母を生んですぐ死んでしまったのもあり、きちんとした教育がなされなかった事もあり、私達姉妹は父が代わって教育やしつけをやってました。
母は心はあるのだけど愛し方、可愛いがり方がわからないし、子供の頃耳を聞こえない事でいじめを受けたり、学校で勉強する事が出来ないまま大人になったので、いじけた心をずっと持ち続けていた気がします。親にきちんと育てられない事も一つの障害だと思っています。
耳が聞こえない障害だけでも大変だと思うのに身体、心の障害を持っている家族は大変だと察します。私の周りに2人の障害者を抱え、明るくその生活ぶりを話してくれるのを見て、偉いなぁ~といつも感心しています。
テレビとはそういうやらせが多い!と自分も出る事が何度かあったので、わかりますね。テレビを作る側の問題だと思って、半分本気にしないで見ています。
2026年08月31日 23:06
番組が50年近く続いているのは、障害者を「感動のための存在」として扱う風潮があるからにほかなりません。テレビ局だけの責任ではなく、視聴者の責任もあります。仏教では、すべての命が等しく尊いと説かれますが、番組の構造には明らかな上下のまなざしが潜んでいるように思います。人を「素材」として消費するのではなく、ありのままの姿を尊重し、共に生きる現実へ心を向けることこそ大切ではないでしょうか。メディアが作る虚構の感動より、日々の関わりの中にこそ本当の学びがあると感じました。
2026年08月31日 23:16
24時間テレビの批判や評判を聞いて
そうなんだ〜とか、横領もあり、寄付金の行方は、実際わからない、が、正直な所ですが、
健常者は、押し潰れそうになった時、テレビで、奮い立たされた事はまちがいない!
2026年08月31日 23:27
僕は24時間テレビは苦手です。
どうしても茶番にみえてしまい心から感動できない自分がいます。
2026年09月01日 00:35
24時間テレビ、見たくないと思って見ていません。
募金の横領があったりしたのに未だに続いているし、マラソンを走る人や出演者への高額なギャラなど、チャリティー番組とは思えなくて…
マラソンも、毎回ああも時間ぴったりに会場に辿り着くのも疑問です。
2026年09月01日 00:40
障碍児や被災地の子どもをネタにするのはモヤッとします
2026年09月01日 03:44
24時間テレビが始まった頃は良い番組でスタッフが着用していたTシャツが欲しいなぁ~とも思ったのですが、今となっては障碍者等をネタにしたおカネ集め番組と映るようになりました。

出演される方もビートたけし氏が仰るとおりチャリティーならノーギャラで出演すべきと考えますし、近年では集めたおカネを横領したりと使途不明になっているケースも見受けられるので番組に否定的な意見を持たれるのも頷けます。

手助けするのは障碍者だからではなく、困っているからと言う根本を履き違えないようにと考えます。
2026年09月01日 04:32
無くなって欲しい番組の筆頭です。
所詮は視聴率。
2026年09月01日 05:06
おはようございます!
nice!です☆
pn
2026年09月01日 06:21
観なくなって久しいですが、あれって結局観てる側の自己満足だけなのかなと。
優しい自分、そして自分はあっち側じゃない優越感、ああ良かった良かったって番組な気がしてる。
2026年09月01日 06:49
実際に障害を持っている人たちがどう
感じていらっしゃるか・・・
普通の生活の中でもっと自然に受け入れられて
手助けできる社会がいいかな!!
決してきれいごとではないですよね。
2026年09月01日 07:11
必要無いです。テレビ自体、私は見てなので(笑)。どっかの田舎県の
スーパーでは。場内放送で、今年は番組の宣伝をしていたかもしれない。
2026年09月01日 08:38
私は「24時間テレビ」は、1度だけ見たことはありますが、

それ以来ずっと見ていません。

嫌なら無理して見なければいいだけです。

視聴率が下がれば、なくなるでしょう。

2026年09月01日 11:36
知らないままいるよりも知って欲しい気がします。見たくなければ見なくてもいいですが、「感動したいときだけ利用する」という考えはありません。
こんな人もいるのだと言うことを知ってもらうだけでいいと思います。感動したくなければしなくても。
2026年09月01日 12:30
みなさん、コメントありがとうございます。

書き漏らしましたが、長年慣れ親しんだコンテンツや価値観に対しては、「これまで善意で見てきた自分」を守る心理(認知的不協和の解消やサンクコスト効果)が働きやすく、批判を素直に受け入れにくい側面は確かにあります。つまり、「24時間テレビ」を見続けてきた自分を否定したくないという心理です。
ただ、「知るきっかけになる」「悪意や利用する意図はない」という善意からの主張であっても、結果としてメディア側が都合よく切り取った特定の障害像だけが消費され、構造的な問題が見えにくくなるという現実との間には大きなギャップが生じがちです。
作られた物語を通して「感動する側/される側」の非対称な関係に留まるのか、それとも現実の生活や多様な障害の実態に目を向けるのかという点において、視聴者側の受け止め方やリテラシーが常に問われていると言えます。
2026年09月01日 13:03
24時間テレビを見なくなって長いです。
テレビ番組はどこまでいってもエンタメ、わかりやすいエピソードを感動的に見せて支持を得ようとしますね。
障がいのある子どもさんのいる同級生がいますが、日々の生活を必死でこなしている中で、小さな喜びを見出すことはあっても、大感動の物語なんてそうそう起こるものではありません。現実は厳しいです。
2026年09月01日 16:21
観ないどすえ~(^^)
2026年09月01日 17:00
テレビは見ません、出かけ先で募金など見ると細やかでも協力を、
本当に協力するなら出演者*ノーギャラが望ましいですね。
2026年09月01日 17:15
24時間TVに限らず、TV視聴は賛否両論 色々ありますね。
うちは、24時間TVとNHKの紅白は、昔から見てます。
今回ので言えば、マラソンランナーの方 何故選んだのかな? と疑問に思いました
お子様には少なくとも手がかかり、寝る時間も自由時間も普通の方より
少ない筈なのに、練習時間は相当だったと思うと酷に思いました。
番組は断片的に見てるので、深く考えず見てます。最後は見れなかったけど....
kinoppe
2026年09月01日 17:53
ははは。そらそーだね。

そんなに障害者が知りたかったら、ドキュメント寄りの「ハートネットTV」(NHK)とか見ればいいのに、なぜ「24時間テレビ」なの?と思います。
2026年09月01日 19:09
あまり見たくないです。
見世物じゃないと思ってしまい、感動もしません。
ただ、こういう人もいるんだ!とは思います。
2026年09月02日 18:41
昔一度観ましたが今は観ていません。
どうせやるならドキュメントで伝えた方が確かだと思います。
我々が違いとして持ち合ってる障がいにどんなモノが在るか?
飾り抜きでMCも無しでどんな障害が在るか知る事が大事だと思います。