『新しい道徳』ビートたけしが旧弊な道徳を否定しながら結論は…

『新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』(幻冬舎)を読みました。著者はビートたけしです。道徳の非合理さ、旧弊さを突っ込みながら、一方で自分は、母親の教えを絶対化する自己矛盾が書かれています。「毒ガス」を標榜してきたビートたけしですが、実は「体制内野党」のポジションを堅持する“優等生タレント”であることがわかる本です。

まず、本書では、まえがきで、「嫌なら読むな」の予防線がいきなり張られています。
これは、自分の意見を書いたものだから、同意してくれなくていい、と断っています。
批判はしないで、と先手をうっているのです。
ビートたけしは、よくこのエクスキューズを使います。
しかし、何かを発言すれば、Web掲示板に賛否のスレッドがたち様々なコメントを受けるのがネット時代の宿命のようなものです。
ビートたけしというのは、実はセンシティブで、打たれ弱い人間なのかもしれません。
本書は、Amazonレビューでは7割ぐらいが絶賛。残りの3割が是々非々、もしくは一刀両断で否定的評価、といったところでしょうか。
「絶賛」の中身は、ビートたけしが風刺精神を発揮しているから素晴らしいというものですが、よく読めばそんなものではないことは明らかです。
「ビートたけしなら無条件に素晴らしいに決まっている」という「思考停止」は、もはや「意見」ともいえず、そのような了見なら最初から本を読む必要はないと思います。
実際に書かれていることときちんと向き合い、面白かったところ、間違っているところ、意見の違うところなどを明らかにするからこそ、わざわざ時間をかけて読書する意味があるのではないでしょうか。
そもそも本書は、そのような「自分の頭で考えない」国民を批判している書物なのです。
やっぱりビートたけしは“体制内野党”だった
さて、本書の中身は、道徳は普遍的なものではなく、支配者の都合で作られたもので、矛盾だらけだと指摘。
道徳の教科書に出てくる例を挙げながら、古い道徳を壊せといいます。
そして、道徳とは自分専用の法律のようなものだとして、人に押しつけられるものではなく、教わる物でもなく、自分で考えて、自分で決めるしかない、ということを述べています。
タイトルの、「いいことをすると気持ちがいい」というのは、要するに「いいこと」は誰かから押し付けられたことではなく、自分の意志で自分で考えてすることだから「気持ちがいい」というわけです。
ここには、一定の真理が含まれていると思います。
本書で例示されている話にも、為政者への批判や、日本人の偏見に一石を投じてはいると思います。
道徳というのは、科学的真実のように、真偽が客観的に明らかでもなく、法律のように明文化されているわけでもない。
もっぱら、「心」の範疇で善悪や処し方を決める道徳が、時代の価値観ごとに、つまり為政者の都合上変化するのはその通りです。
そこで、そんな道徳は糞食らえ、というわけですが、問題はその先です。
では、既存の道徳を否定して、何をよりどころとすればよいのか。
ビートたけしなら、それこそ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というような、既存の道徳をぶっ壊す、新しい価値観を提示するのかとおもいきや、そうではありませんでした。
本書では結局、道徳は教えてくれる人が大事だとして、自分は母親の言ったことなら守るという結論を述べており、前向きな結論を望む読者を落胆させてしまいます。
なぜ落胆するのか。
ビートたけしが、とんだマザコンぶりを発揮しているから、だけではありません。
道徳という、「価値観」にすぎないものをぶっ壊せと言っておきながら、自分は、「母親の教え」というもっとも内向きな「価値観」にとどまり、何の根拠もなくその押しつけられた「道徳」を信じてきっているからです。
道徳否定の結論が、「親に忠実」という現在の道徳のど真ん中に落ち着くのですから、もうブラックジョークの世界です。
つまり、タイトルは「新しい道徳」と名乗りながら、ちっとも新しくないのです。
これほど著しい自己矛盾、今風に述べれば、逆に清々しいというべきか。
考えてもみてください。
子どもが、自分より旧世代である親の道徳に従っていたら、新しい未来は何も創出できないではありませんか!
ヘーゲル弁証法ではありませんが、そこには親を否定する葛藤があり、やがて親を乗り越える「否定の否定」がなければ発展を貫くことは出来ません。
しかし、考えてみると、これはビートたけしという人のそもそものキャラクターです。
以前、このブログでも、ビートたけしについては詳しく書きました。
⇒『たけしのTVタックル』20周年の秘訣は“体制側の反体制”!?
テレビ媒体のヒーローは、保守的な人でも反体制でもだめで、保守の枠内で反体制的なキャラクターであることが望ましいとされ、ビートたけしの「毒ガス」は、まさに“体制内野党”そのものであったのです。
もっとも、最近は、その「野党」のキャラクターも怪しく、ネットでは老害ぶりを指摘されています。
タレント本が、ゴーストライター執筆なのは今更疑うようなことでもありませんが、本書は、かなりライターの裁量で書かれた部分が多いのではないかと思われます。
明石家さんまが、ビートたけしに一緒に引退することを勧めているそうですが、新しい価値観を示せる人へのバトンタッチは、テレビ界の現場でも求められていることなのかもしれません。