ジャイアント馬場、三条市名誉市民決定から改めて存在を思い出す

いささか旧聞ですが、ジャイアント馬場が新潟県三条市名誉市民に決定し、その贈呈式が去る17日に行われました。『東京スポーツ』(2016年10月18日付け)には、全日本プロレスの三条大会開催時、ジャイアント馬場夫人の馬場元子さんと、全日本プロレスでジャイアント馬場と接点のあるレスラーたちによる、国定勇人市長との記念撮影が載っています。

三条市の名誉市民は、漢学者の諸橋轍次さん、日本画家の岩田正巳さんら過去5人。
簡単に言うと「文化人」ばかりです。
スポーツの世界から選ばれるとすれば、オリンピックで話題になるなど“健全な”知名度が条件で、プロ野球やサッカー以外の「ショービジネス」のチャンピオンが選ばれるというのは異例です。
でもまあ、私の世代からすると、「巨人、大鵬、ジャイアント馬場(玉子焼きでは収まりが悪い)」でしたから、そのような評価は、いささか遅きに失した(本人存命中にヤれよ)感もありますが、良い話だと思いました。
受賞までの経緯
ことの始まりは今年1月、ジャイアント馬場を名誉市民として表彰したいと、有志による「三条の英雄・世界のジャイアント馬場を名誉市民にする会」が発足。
『新潟日報』(2016年4月13日付)には、有志は8月末までに2万人以上の署名を集め、市議会や市への提出を目指すと報じられました。
17回忌も過ぎたのに、「今、なぜ?」という点については、「近年、馬場さんの足跡について相次いで本が出版され、再び機運が盛り上がった」からと書かれています。
これは主に、『1964年のジャイアント馬場』(双葉社)のことを指しているのだと思います。
本書は、日本では絶対的な存在だった力道山の都合で作られたプロレス史を引っくり返し、実はアメリカでは力道山はローカルレスラーで、ジャイアント馬場こそがアメリカ全土で唯一通用するレスラーだったという話が、当時の関係者の証言などでまとめられています。
また、そんなアメリカのスターだったジャイアント馬場が、どうして日本に戻ってきたのか。他書には書かれていない踏み込んだ裏話も記されています。

つまり本書は、我が国で定説とされていたプロレス史を、大幅にひっくり返して新事実を提示した一冊です。
その他、NHKの馬場特集や、名勝負のDVD販売などもありました。
ジャイアント馬場への署名は集まり、国定勇人市長は8月29日の定例記者会見で、ジャイアント馬場を名誉市民に選定する方針を発表。 (毎日新聞 8月30日(火)12時28分配信 )
それは先日、このブログでご紹介しました。
⇒ジャイアント馬場に三条市名誉市民議案、猪木と戦わなかった理由
同日の市議会議会運営委員会で、9月5日開会の定例会初日に市長が関連議案を提出する日程が決定。
議案は無事全会一致で可決しました。
同市6人目の名誉市民となったわけです。
ジャイアント馬場の全盛期の動画は現在ほとんど残っておらず、そもそもジャイアント馬場を知らない人々がふえてきたので、名誉市民の署名は今回が最後のチャンスだったかもしれません。

全盛期の32文は誰にも真似出来ない芸術品だった
高度経済成長時代の象徴だった「明るく楽しいプロレス」は
プロレスの歴史というと、力道山が街頭テレビで、敗戦に打ちひしがれる国民に夢と希望を与えた、という話から始まるのが常。
その語られ方に間違いはないのかもしれませんが、でもだからこそ、そこには当時の日本人の、アメリカやアメリカ人に対するコンプレックスが伺えます。
つまり、日本人はアメリカ人にかなわないんです、ということを日本人自身が認めていたわけです。
力道山のプロレスは、技もへったくれもない。
とにかく空手チョップで相手を倒してくれればそれでいい、という何とも大味なプロレスでした。
一方、力道山亡き後の日本マット界のトップに立ったのはジャイアント馬場。

原康史『劇録馬場と猪木1』140ページより
体格も身体能力も、ガイジンには全くひけをとらず、というより彼らを上回るパフォーマーぶりで、怨みだのコンプレックスだのといった湿っぽい感情などは不要。
力道山にはできない、一騎当千の個性的大物ガイジンたちと渡り合うアメリカンプロレスで、彼らと面白い試合を展開しました。

昭和プロレス熱戦譜より
⇒昭和プロレス熱戦譜
高度経済成長時代の象徴ともいえる、「明るく楽しい」プロレスで、「アメリカに追いつき追い越せ」を展開したわけです。

昭和プロレス熱戦譜より
今や我が国は、バブル崩壊以来、失われた20ウン年などといわれ、総理が変わろうが、政権交代しようが、閉塞感が続いています。
そんな時代だからこそ、高度経済成長時代の象徴だったジャイアント馬場を思い出したかったのでしょう。
【ジャイアント馬場関連記事】
・ジャイアント馬場13回忌、空白の27時間を明らかにする
・ジャイアント馬場を思い出した
・ジャイアント馬場は世界に通用するアジア最高のプロレスラーだった
・『喜劇駅前茶釜』ジャイアント馬場“伝説の全盛期”出演の群像喜劇
この記事へのコメント
でも、巨人のピッチャー馬場さんも見てみたかったです。
技が派手な割には中身が無い気がするんですよねー
馬場さんは動きは遅いですがダイナミックで好きなレスラーでした。
馬場さんの32文ロケット砲はすごかった(^_^;)
ジャイアント馬場、懐かしいですね。
掲載のお写真に吉村道明や豊登が・・・
もっと懐かしいです。
ジャイアント馬場も懐かしく感じるようになってしまったんですね。
フデは筆からでしょうね。似てますからね。
女の子は難解です。
閉塞感は確かに感じます。
次の時代では何が閉塞感を破ってくれるのでしょうか
楽しみです
プロレスは放映されても殆んど観なかったんですが
私はジャイアント馬場は哀愁が漂っているように思えて
仕方がなかったんです(笑)
ありがとうです。
馬場選手、、、懐かしいです。
懐かしいです。
そして
私も蠍座なのですよ。
なので我が家もまだまだ お誕生日おめでとうが続きます。
私が子供の頃はプロレス全盛期でした
懐かしいですね
馬場さんはプロレスだけじゃない功績を
残した方だと思います
trying to find things to improve my site!I suppose its ok to use some of your ideas!!
asmr 0mniartist