「『今度』飲みに行こうよ」は無責任な“約束”か温かいエールか

たとえば、「『今度』飲みに行こうよ」という“社交辞令”を批判的に捉える新聞コラムが、Facebookのタイムランを見ていたら紹介されていたので、このブログでシェアします。6月16日付『日本経済新聞』の平日朝刊、最終面の文化面に掲載中のコラムである『交遊抄』で、タイトルは『NO社交辞令』です。

コラムの著者(うえだたかひろ)は、「社交辞令の存在を認めない」と冒頭から断言しています。

『日本経済新聞』(6月16日付)より
「今度飲みに行こう」「今度~しよう」という“社交辞令”を、「往々にして、自分から働きかけない限り、『今度』は永遠に訪れない」からだめだと捉え、女優の渡辺えりもどうやら同意見であると書いています。
みなさんは、どう思われますか。
私も若い頃は、「今度……」という物言いが苦手でした。
私は、生真面目に、責任の所在が曖昧になるという理由から、「今度……」という物言いは容認できなかったのです。
飲むという話なら、具体的に約束すべきだ、それもなしに「今度飲もう」とは何事だ、なんて思ったものです。
その頃、橋本龍太郎氏が総理大臣だったのですが、橋本総理は、「今度食事でも」と“社交辞令”を言うと、その場でスケジュールを確認し、いついつならあいていると即答する人だというエピソードを聞き、「社交辞令でごまかさないのはいいことだ」と、自民党支持というわけではないのに、橋本総理のふるまいは評価し、自分もそうなりたいものだ、などと思っていました。
そして、時は移ろい、今はどうかといいますと……。
もちろん、あやふやな「忖度させる」言い方で翻弄されるのは困りますが、ただ今回の日経のコラムを読んだとき、著者の断じるような“社交辞令”全否定には、必ずしも頷けない自分に気が付きました。
「今度……」という“社交辞令”は、本当に好ましくない挨拶なんでしょうか。
私は、「今度飲もう」というのは、「これが今生の別れにならずに、命と縁があって飲めるよう、それまでお互い達者で頑張ろう」というニュアンスとして、決して悪い挨拶ではなく、むしろそこには日本的な温かさすら感じるのです。
お互い命と縁さえあれば、いずれ飲めるときもくるでしょう。
結果的に飲む機会が「永遠に訪れな」かったとしても、お互い達者でやっていれば、それが何よりじゃないかと思います。
もちろん、言葉はTPOで受け取め方も評価もかわります。
ただ、人生一寸先は何があるかわかりませんから、いくら誠実に「具体的な約束」をしたところで、挨拶してわかれた直後に交通事故でそれっきり、ということだってあるかもしれません。
具体的ではなくても、次に会えることを期待する前向きな“挨拶”としての社交辞令は、あってもいいのではないか、なんて考えるようになりました。
甘すぎない「栗の洋風あん」
今日、あなたに喜んでもらいたい一心でこっそり打ち明けるおやつは、『黒糖スナックサンドモンブラン』(フジパン)です。

黒糖食パンに、栗の洋風あんとホイップクリームをはさんでいます。
いつものように、袋を開けただけで黒糖の香りがします。

パッケージにモンブラン(ケーキ)のような写真があったので、そのイメージで食べ始めたのですが、「栗の洋風あん」と明記されている通り、あんこのようなねっとり感があります。

ホイップクリームと一緒に食べることで、モンブランの味わいに近づくのかと思いましたが、黒糖の香りがあるので、なかなかケーキのモンブランを連想するまでには至りませんでした。
しかし、このあんとホイップクリームと黒糖パンの相性はけして悪くはなく、あんの重さとクリームの軽さがうまく溶け合っていて、美味しくいただけます。
ケーキのモンブランの味を期待して食べるとがっかりしますが、先入観なしに食べると甘すぎないおやつとして楽しめるでしょう。
この記事へのコメント
今日のパン、見た目がうどんに入っている大きなお揚げさんですね。
俺も今日のパンは油揚げに見える(笑)
社交辞令のつもりはないけど、実際近いうちに行く事もあれば
一年後、そのままの人もいるわけで。
でも、実際行きたくない人には言わないし
「次に会えることを期待する前向きな“挨拶」という
考え方は、とても素敵だなと思いました。
社交辞令は認めない、じゃあ何というのか。「もう二度と会うことはないと思います」では気まずいですよね^^;おっしゃる通り状況によって上手に使う社交辞令はあっていいのかなという気がします。
でも「今度飲みましょう」ぐらい履行されなくて
「空手形」と騒ぐ人なんているのかしら。
そんな人、うっかり何も言えないから
ちょっと付き合いにくいかも(笑)
また会えることを期待して言ったりします。
いつとはっきり決められたら、それはそれですぐに実行できますが、またいつかねと気持ちのいい別れ際の挨拶、約束もいいのではと思うことです。
もっとも、わたし自身も多くの社交辞令は気に入らないタイプではあります。しかし「認めない」とか、そこまで言うと、逆に滑稽感さえ受けますね。わたしはフリーなアウトロー(笑)ですから、特に社交辞令を言う必要もないのですが、それでも人によっては、「その内、お茶でも」とか言います。まあ、「挨拶」の一種でもあるし、「次期は決定してないけれど、未来に対する可能性」を示しているようなものだと思います。こうした言い方に対していちいち、「その内って、具体的にはいつですか?」なんて問われたら、場合によって、(この人とはこれ限りにしよう〉と思うかもしれません(笑)。相手が素敵な女性であれば、すぐに具体的な日時を提案するかもしれませんし(笑)。まあ、「言葉の問題」は千差万別のケースバイケースで、「認めない」とか、そんな単純な決め付けはいただけません。
>あなたに喜んでもらいたい一心で
↑
う~~ん・・・(素晴らしいフレーズに陶然としている様子 笑)。モンブラン系はわたしにはやや甘すぎて普段は手を出さないのですが、このフレーズを読んで、きっと見かけたら手に取ることになるでしょう(笑)。
わたしのよく行くエーマックス一宮店ですが、以前はマンボウなんて置いてなかったと思うんです。最近急に見かけるようになって、しかもほとんど行く度に置いていて、(そんなにマンボウ獲ってるのか?こんなにしょっちゅう置いているというのは、買う人もけっこういるのか?)など、いろいろ「?」が頭をよぎるんです(笑)。「見た目の悪い魚は美味しい」とよくいいますが、なにせマンボウはあの巨体だし、イメージが不気味です。しかし「アニキサス」がいるのですね。知りませんでした。いや~、なかなか怖いですね~。わたしはふぐも食べたことないんです。生ものって、いろいろ調べとかないといけませんね。
「1984年のUWF」・・・フミ斉藤はじめ、いろんな人がいろいろ言ってますね。喧々諤々を読むのは楽しいものです(笑)。わたし自身はUWFに関してはいろいろ思うところがあって、「好きだった」とは言えないんですが、実はリングスはめちゃめちゃ好きでした。映画とテニスで大満足のWOWOWライフですが、もともとはリングスを観たくて契約したんです。もっともお目当ては圧倒的に、ヴォルク・ハンを始めとするロシア勢でしたが。前田の試合もそうですが、高坂は別格として、山本、成瀬、長井、そしてもちろん坂田ら日本勢の試合はかなりお寒かったです。でもK1がブームになる以前に、ピーター・アーツやロブ・カーマンもリングスへ来てますし、何と言っても、その後「総合格闘技世界最強」となるヒョードルを発掘したのはたいへんな功績だったと思います。それと、フミ斉藤の「柳澤健観」はなかなか興味深く、「プロレスファンの根源」に関わるものだと思いました。 RUKO
な気がしたり。
社会人になって間もなくの頃に先輩に言われました
高卒で会社勤めをした為世間知らずでしたので
社交辞令の範囲がわからず戸惑ったのを思い出します
「社交辞令」の定義はわかりませんが、大人の社会人の
ごく日常的な会話として出て来る、当たり前の解釈と思いますが。
「今度○○しよう」と言われたからと、それを否定したり、
不履行とゴネたりする人は、社会人として幼な過ぎ!
いきなり「今度〇日に行こうか」というのもそれはそれで良くないですし…
これだけで、このコラム子は社会から切れた人とわかります。そんな人のコラムは全く生きる参考になりません。
私たちは、嫌でも周囲との相互の義理やお付き合いやお愛想で生きています。
モンブランとのコンビなんて最高ですね。
たまに、本気で言ってくれる人がいると、
それはそれで、嬉しくなります。
いろんな人がいて、よいと思います。
「いつ買ってくれるのだろう?」と思っていましたが
買ってもらったことがありません。
社交辞令で「今度」と言われたとしても気になってしまいます。
現職では社交辞令を言う機会がありません(^-^)
私的には今度は社交辞令と受け止めています。
本気なら今週末とか月末とか具体計性を持たせます。(^^)
今度 ご飯食べようよ などなど
比較的に男性の方が多いかな?
女性は 安易に言わないかな〜
女性は好き 嫌いが
こういう時は はっきりしていますね
でも 素敵な男性に 言われたら 期待しちゃいますね(^ ^)
水谷豊
赤い激流 めちゃめちゃ懐かしいですね
覚えています 水谷さんが弾いたのは 英雄でしたっけ?あの 奏でた音♪は 今でも はっきりと記憶に残っています
栗の餡が美味しそうですね。
まぁ、なしと云う方にそれを押し付ける気もありませんが、反対に押し付けられるのも絶対にお断りです。
それと渡辺えりさんの件は、渡辺さんが社交辞令の存在を認めない方針…かどうかは分からないと思いますね。2度の出来事だけでそう決め付けるのはあまりに短絡的だと思います。そういうことは、本人に確認してから書くべきで、この人は自分の意見を他人に押し付けるのがお好きな方のようですね。
この人がどんな人でもいいけど、ボクはこんな押し付け人間は大・大・大嫌いです(^^)
一緒に行きたくない人には言わないでしょうから
ほんとに機会があったらぜひにっていう感じかなぁと。
ランチパックは好きで新しい味が出ると
買ってしまいますね♪
「今度飲みに行こう」「今度~しよう」を社交辞令と
判断するのは微妙なところ・・・
得意先の大会社との折衝の中で私が使ったのは
「いつ頃、飲みに行きませんか!」と
日にちを区切って話してました。
そうすると「その日は都合が悪いけど」と言って
都合の良い日を決めてくれるので「成功」となる事が
とても多かったです。
だって、相手を直接的に拒絶せずに柔らかくお断りの意味を
込めて言いたいときもありますし、本当に次の機会に会いたい
と思っての意味で使うときもありますし。
日本的なあいまいな表現、捨てたものじゃないです。
曖昧な約束 いつか果たせるのを期待して言ってます。
言う相手も仲の良い人に言ってますね。
フジパン 美味しそうです♪
いつの日にか飲みに行きましょうね♪
同僚とか友達とかの対等な関係であれば「今度…」の約束が流れても,約束したことすら忘れたり,実現しても重荷になったりしないんでしょうけど…上下関係の場合だと言われた方も「いかなあかん…」とか「付き合わされた…」とか思われたのを後から知ると次は誘いたくなるだろうし…
それに奢って貰うのを前提に積極的に働きかけるような奴は誘いたくないですねσ(^◇^;)割り勘前提で積極的に働きかけてきた奴には気持ちよく奢ってあげますし,某も割り勘前提で働きかけます。その一緒に飲む人と機会を持ちたいと思えるからこそ働きかけます…お金出してまで一緒に過ごしたくない相手からは「社交辞令」だけで充分です☆
若いころは純粋にも信じてしまい、辛い思いも(´;ω;`)ウゥゥ
去年12月退職しました、そのとき10年前に部下だった
後輩たちから”飲みましょう!” 年末を事由に断りました。
それこそ、社交辞令と思いました。
ところが先日メールが入って明日(23日)あらためて
飲み会です、うれしいです!!が困惑です。
今度ね?は、約束では無いと言う意味でした。
時にしか「今度〜」を使いません。
その場で日程が決められないから、
「今度〜」と言います。
一旦持ち帰って、必ず近々日程調整の
連絡をします。
今度〜と言って、一生会えなくなった友達達がいるから、
社交辞令では言わない!と決めています^_^
電車のダイヤは正確で、無遅刻無欠勤が賞賛される文化。
社交辞令は認めないとか、私はちょっと疲れます。
もっと緩やかな気持ちでいてもいいと思いますけどね。
今度・・・が社交辞令に聞こえるのは 言われた本人が
その言葉を現実にしようとしないからかなぁ・・・
職場の若い子が落ち込んでいる時に よく私は
「今度食事行こうか?」と励ますためにお誘いします。
本人が本当に行きたい時は「いつにします?」という返事が返ってくるし
必要なければ「そのうち是非」とかえってきます^^
社交辞令と切り捨てるのは 勿体ないと思うなぁ( ̄∇ ̄;)
私もシッカリ果たせない約束は好きではないのですが、コラムの筆者の方の考えには賛同できません。
こういった考えが人間関係の希薄につながるのかななんて考えてしまいました。
悲しい考えのような気がします。
私の場合は、たとえ社交辞令だとわかっていても言われると嬉しく思います。